4月中旬のある日、桜見物に母校成蹊学園のキャンパスを訪れた。
 今年の桜は遅い。毎年4月の第一日曜日に開催される「桜祭」には開花は間に合わなかったと聞く。私が訪れたその日は、一面と咲き誇った桜の許で、大学生たちが思い思いに憩っていた。4月から新しくキャンパスに足を踏み入れた学生も多いのかもしれない。桜の下の人々の顔はどこか晴れがましく華やいで見える。
 本館の右脇を抜けて、小学校の方へと桜並木を歩いてゆく。大学の施設の隣に小学校の給食室があって、そこからさらにグラウンドを越えると、ようやく小学校の校舎にたどりつく。子供の足だと正門の前でバスを降りてから十分くらいかかっていたかもしれない。私が通っていた頃には、グラウンド脇、桜並木に面して、古い木造校舎が残されていた。私の母が小学生の時代に使用されていた校舎で、私たちの頃にはもう使われておらず、雨が降ったときだけ、給食室から校舎への帰り道、その古い校舎の二階を通っていいことになっていた。当時の私は、タイムスリップして子供の頃の母親と遊ぶ…という、とある童話に夢中だった。それで、雨の日、古い校舎の真ん中にあった大きな階段のところまで来ると、いつもそこから下をのぞきこんでいたものだった。母が小学生の頃、その階段で「風と共に去りぬ」ごっこをして遊んでいた…という思い出話をよく聞いていたから、その階段の下に、ちっちゃな母がいたりして、一緒に遊んだりできないかな…と思って。
 私が通った校舎も建て替わってしまって、今はもうない。その左手に広がる、かつて私が放課後、よくへびいちごを摘んでおままごとをしていた松林は、建て込んで若干狭くなってしまったものの、まだ昔の面影を残している。
 小学校の手前まで進んで、そこでUターンして、もう一度桜並木を通って帰ろうとした。すると、今はない木造校舎の立っていた前あたり、古木となって洞を抱えた桜の木の下で、…私はあっという間に、セーラー服の背中に余るほどのランドセルを背負っていた、ちっちゃな“まゆちゃん”に戻ってしまったのだった…。給食を食べるのが遅くてからかわれたこと、誰々くんが好きなんでしょう〜とひやかされたこと、その桜並木を通りつ聞いた、思い出の中の数多の声が重層的に木霊した。
 その刹那、一陣の風が起こって、桜の花びらが心の中へとあとからあとから舞いふぶいてきて、あまりの出来事に心がわなないてしまって、涙があふれそうで、…何だか、困ってさえしまった。
 その光景が美しいという意識すらなかった。ただ、世界とはそういうところなのだと、幼い日の自分は思っていたのだ――。

 2012年は成蹊学園が創立されて百周年。建学の日は3月23日。本日、5月12日は、東京国際フォーラム(ホールA!)で創立百周年記念式典があり、あひるも、同窓生である母と一緒に出席してきます。
 その式典で配布されると同時に、14日から書店でも発売になる「東京人増刊号 成蹊学園と吉祥寺の100年」という雑誌で、さまざまなページの取材と執筆を担当しました。早いものは昨年秋から取りかかっていて、3月4月はそのピーク。桜の時期に訪れて執筆した「キャンパス散歩」に添えられた写真を見るだに、なんとピクチャレスクな学園であることよ…と。大先輩方の鼎談など担当させていただいたのですが、たびたび聞いた母の思い出話をもわがものとしているあひる、得意の年齢不詳さを発揮〜。内容や取材の思い出話についてはまた後日。
 式典では、創立者中村春二先生の生き様を描いた百周年記念ドキュメンタリードラマ「たしかなあしぶみ」の上映もあるのですが、春二先生を演じた鶴見辰吾先輩は私が小学生の頃もう成蹊の大学生で、学校で見かけたとき、悪ガキの友達が「鶴見辰吾だ〜」と大声で叫んだらニヤッとして横を通り過ぎていった思い出が。どんな作品に仕上がっているのか、楽しみ。
 ようやっと一年で一番過ごしやすい気候となってきましたが、全国各地の皆様、いかがお過ごしでしょうか。あひるは、ここ最近ずっとかかりきりになっていた一大プロジェクトがようやく終了〜…と思いきや、4月の方ももう終わりではないですか。ということで、あわてて庭のはなみずきを鑑賞〜。今の家に越してきたのがちょうど12年前の4月で、そのときにもはなみずきが咲いていて。白い花弁のふちだけ濃いピンクに彩られていて、何だか、色白の人がぱあっと頬を染めて微笑んだような。その笑顔に勇気づけられて、明日からもまた頑張ろう、そう思えるような。
 まだまだ今週もあれこれ山積みなので、今宵はここまで〜。

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 2000年に上演された「更に狂はじ」は、霧矢大夢にとっては初めての宝塚バウホール・日本青年館公演初主演作品(大和悠河とダブル主演)であり、大野拓史にとっては東京デビューとなった作品である。このとき大野は、霧矢に、将軍・足利義教の寵愛に身をゆだねてもなお、己の芸に命を賭けて生きんとする観世元重の役を宛て書きした(もう一人の主演であった大和に宛て書きされたのは、恋を選ぶ観世元雅の役である)。それから12年。「エドワード8世」を手がけることとなった大野は、“王冠を賭けた恋”の果てに余儀なくされたエドワード8世の退位と、演じる霧矢の宝塚からの退団とを重ね合わせて、心打たずにはおかないクライマックスの「退位の歌」で、こんな歌詞を書いた。

「過ぎた日々に 悔いはないと
語れば嘘になる けれども誓おう」

 2000年は、齋藤吉正が「BLUE MOON BLUE」で大劇場にデビューした年でもある。このとき霧矢は、紫吹淳が妖艶な魅力で魅了したナーガ、蛇の分身を踊った。この作品では、THE ALFEEの高見沢俊彦がテーマ曲「ENDLESS DREAM」を提供していたが、その歌詞にはこうある。

「見果てぬ夢 届かぬ恋
すべては蜃気楼」

 齋藤は後の2004年、「愛しき人よ」で霧矢主演作を手がけることとなる。男役としては色気がいまいち足りないと言われていた彼女から色気が引き出されれば…との期待をこめて、当時ちょうど手がけていたある海外アーティストのCDの対訳の中に、この作品のタイトルをしのばせたことを懐かしく思い出す。そして斎藤は、渾身作「Misty Station」を霧矢の退団の餞とした。
 人生は後悔の連続である。ああすればよかった、こうもすればよかった、あのときこうしていれば、今のようなことにはならなかったかもしれない…。いつも期待を大きくふくらませては、そのふくらみすぎた夢にどこか“裏切られる”こととなった、子供の頃の誕生日会を思い出す。心にどこか残る、甘さと、苦さと。見果てぬ夢。けれども。
 「Misty Station」第9場、銀橋を一人渡る霧矢大夢を、舞台上に居並ぶ月組生たちが見送る、惜別の場面。これほどまでに多種多様な感情が存在するのだ…と思わずにはいられないほど、さまざまな想いの激流がかけめぐる。そういえば、2002年、月組で「ガイズ&ドールズ」が上演された際、アデレイド役に扮した彼女に終演後に取材をする機会があったのだけれども、目の前に現れたその人は、横顔を見ているとまるで外国人のようで、まとっている空気にキラキラとした粒子がちりばめられているかのようだった。あれは、人間のオーラというものを初めて目の当たりにした瞬間だったかもしれない。
 そして、十年経って、思うのだ。
 今こうして目にしている光景は、夢でも蜃気楼でもない。まぎれもない現実、真実なのだと。
 2010年10月22日。結婚15周年のその記念日の朝、私は東京宝塚劇場で月組の「ジプシー男爵」「Rhapsodic Moon」の舞台稽古を観ていた。ちなみに私が結婚式を挙げたのは、劇場からすぐの帝国ホテルである。その日も蒼乃夕妃は、ドレスさばきも軽やかに舞い踊っていた。ダンスバトルの迫力さえあった、「ジプシー男爵」オープニングの6分間のデュエットダンス。「Rhapsodic Moon」のオープニングで彼女が着ていたフューシャピンクのロングドレスに、自分が結婚式のお色直しで着た同じ色のドレスを思い出さずにはいられなかった。いきなり長いドレスを着て、裾を蹴飛ばすように歩けと言われても、人間、慣れないことはすぐにはできるものではない。どうやったらあんなにエレガントに立ち振る舞えるのだろう…。
 蒼乃夕妃になりたい。そのとき、思った。
 一日、蒼乃夕妃の身体に乗り移ることができたなら、気の済むまで踊ってみたい。あんな風に身体を動かせたなら、いったい世界はどのように見えるものなのだろう。いつ頃からか、それが、私の一つの願いとしてあったのである。
 彼女に衣装をデザインすることは、デザイナー冥利に尽きる。ある人がそう語っていたと、小耳に挟んだことがある。さもありなん、と思う。何しろ彼女は、布目にまで細心の注意を払ってのドレスさばきに余念がない娘役と聞く。思うに、宝塚の娘役になったからには、ドレスさばきの至芸を会得しないで退団するのはもったいない限りである。ドレスさばき一つで、演じる女性の位の高さを表現できるばかりではない。それは、女性にとって、身にまとう衣服への愛を表現できる一つの手段なのである。何も娘役でなくても、長いスカートをはいた日にはちょっと裾を気にしてみたくなったりするものである。その衣装への愛あればこそ、素敵に着こなして見せたい。その究極が、娘役のドレスさばきに結実するところなのだと思う。
 そして、蒼乃夕妃の身体は、動きの中に衣裳を美しく見せることのできる身体なのだった。すらっと伸びた脚。緊張感のある背中。空気をかき抱く腕。記憶の中には、さまざまな衣装を着て踊る彼女の姿が、静止画像ではなく動画で残っている。「Rhapsodic Moon」の“月の輝く城”の、スリットからちらっとのぞく脚がセクシーだった衣装や、「アルジェの男」で神々しいまでの生腹を披露した衣装、ミュージック・サロン「Very Best Of Me」でのホットパンツ&黒ストッキングのように、気迫あふれる彼女の娘役像あったればこそ、着こなせた衣装も多かったと思う。

 その一方で彼女は、古風な女性像をも、娘役としての芸の力で、共感をもって見せてしまえる人なのだった。
 トッププレお披露目となった中日劇場公演「紫子」で、蒼乃は舞鶴姫なる役どころを演じた。政略結婚で嫁いできた姫だが、嫁ぎ先はといえば、当主が急逝し、女の双子である紫子が替え玉を務めている城である。当然のことながら初夜が成立するはずはなく、紫子が自身の恋人に寝屋の替え玉を頼むところにまた悲しみがあるわけだが、舞鶴姫は途中からすべてを知って、けれども、人には決して言わず黙っていて、城を去る段階になって、彼女自身、女として悲しい運命をたどっていたこと、そして、女ながらに当主を務めねばならない紫子の運命に共感を寄せていたことを告げるのである。
 これも日付をはっきり覚えているのだけれども、2010年1月25日、つまりは、宝塚歌劇の創始者、小林一三の命日である「逸翁忌」のその日に、私は、トップ娘役となった彼女にインタビューする機会を得た。そのとき、舞鶴姫について、「幸せになるために嫁いできた人なのだと思う」と語っていたことが深く心に残った。私がそのとき何だか思い浮かべたのは、その正月、義理の父から話を聞いた、夫の父方の祖母である女性のことなのだった。私が一度も会うことはなかったその人、千代さんは、若くしてスペイン風邪で一家のほとんどを失い、成績がよければという条件で親戚の援助を受けて上の学校に進み、教師となる。そして、同じ教師である人に嫁ぐのだが、今の私にしてみれば、昔の女性を取り巻く状況は、何だかとっても理不尽に思えたりする。妻も教師だと、夫は校長になれない…という規則があって、夫を校長にするため、千代さんは最終的には学校を辞めるのである。無論、いろいろな事情があっての判断だとはわかってはいるのだけれども、基本的に“ガールズ・ビー・アンビシャス”が是であって、恋でも職業でも欲しいものは堂々と闘って手に入れたらいい、としか思っていない私は、話を聞きつ、「どうせならおばあちゃんが出世しちゃえばいいのに」と過去に思いをめぐらせていたりするのである。そうやって、千代さんへの思いを胸に観劇していた私は、ただ運命をあきらめて受け入れるのではなく、幸せになろうという一心で気丈に生きる、蒼乃扮する舞鶴姫の姿に涙せずにはいられなかったし、劇場があんなにも一体となって泣いていたことは、そうそう記憶にあるものではない。そして、不思議な話なのだが、私は、中日劇場の近くで、結婚式以来ほとんど会ったことのない夫の叔母、つまりは、千代さんの娘にばったり会うのである! 何だか千代さんが、「私の志を受け継いだ娘に会っていって」と、教師生活を全うしたその人と引き合わせてくれたようで、私は今でも、蒼乃夕妃の舞鶴姫が呼び合わせてくれたのだと信じている。

 男前。私はかつて蒼乃夕妃の娘役像をそう形容して、今ではそれは彼女の代名詞になってしまった。可憐な少女もお手のものである。けれども、颯爽と踊れば、なんせ粋でかっこいいのである。あるとき、「Dance Romanesque」での娘役を引き連れてのダンスシーンで、自分が、普通だったら男役にしか向けないような視線で彼女を観ていることに気づいたのだった。女性の中にも確かにある男性性を引き出すために男役なる“衣装”が必要なのだとしたら、蒼乃夕妃は、その衣装なしに男性性を発揮して、それでも、娘役としての高い芸ゆえに宝塚の舞台として成立させてしまえる稀有な存在なのだった。だから、彼女の男役姿を観たかったとは思わない。娘役だからこそ味わえる妙味だったのだと思う。「Very Best Of Me」でゆるやかウェーブの髪の毛を振り乱して踊る姿や、「Misty Station」の中詰、パンツルックにロングヘアで踊る姿など、女性性と男性性の表現の難易度の高い組み合わせであればあるほど、そんな妙味は際立つのだった。
 彼女は久々に現れた大ヒロインの系譜である。作品、役柄が要求するところであれば、自身が芯となる重責を担うことも厭わなかった。過去の娘役たちで、そんな存在になってほしかったな…と願い、けれどもやはり、そこまで踏み切れない姿を残念に思った人もいる。出すぎだと叩かれかねないから、躊躇したとしても責められない。宝塚の娘役とは、ときにそのような理不尽を背負わされた存在である。けれども、蒼乃夕妃は、ときに敢然とその重責を担ってみせた。だから、男前で、かっこいいのである。憧れである。かっこよさとエレガントさと、その双方を軽やかに体現して、蒼乃夕妃は宝塚の娘役の領域を確かに拡張してみせて、だからこその「エドワード8世」のウォリス・シンプソン役であり、「Misty Station」の剣舞を舞う“孤独な戦士”なのである。

 さて、宝塚の娘役としてはまさにやりきったという表現がふさわしい蒼乃夕妃だが、私は彼女の踊る身体に、コンテンポラリーな可能性を大いに感じるのである。例えば、パリ・オペラ座のマリ=アニエス・ジローを観たときのような興奮に似たものを、踊る彼女の姿に感じる。今を生きる我々の可能性を身体表現のうちに見せることが、コンテンポラリー・ダンスの一つの使命としてあると思うのだけれども、日本人女性の身体的可能性を、蒼乃夕妃の中に見出し、振り付けて表現するクリエイターがいたとしたら、こんなにうれしいことはない。「エドワード8世」は、彼女も好きだと語っていたマシュー・ボーン作品のように、ダンスで物語を綴る場面もあって、そこでの踊りがまた素晴らしかっただけに、幅広いジャンルでのよき振付家との出会いを心待ちにしている。
 かつての逸翁忌に取材した彼女は、それは幸せそうにコロコロ笑っていて、その笑い声を聞いているだけで何だかこちらまで幸せになるのだった。その帰り際、彼女は、トップコンビとして一緒に取材を受けていた霧矢大夢さんの荷物を、「私、持ちますよ」と言うのだった。それが、自分が相手役だからだとか後輩だからだとか、誰にいいところを見せようというのでもない、この人はきっと、自分が手が空いていて、荷物を抱えている人がいたら、自然とそう言うのだろうな…という風情で。それで、自分が大変なときは、そうやって人に自然に手渡せばいいのにな…と思ったのだけれども、ところがどっこい、彼女は、自分の荷物は絶対に自分で背負わずにはいられない心意気の人なのだった。蒼乃夕妃、あっぱれである。これまでも、これからも、ずっと、幸せに! そして、踊り続けてくださいね。
 スマッシュ・ヒットとなった今回の月組公演の二作品についてだが、「エドワード8世」を観た際、最初に想起したのは三島由紀夫作品であったこと、また、ジャパニメーションが話題となりがちな「Misty Station」については、作者が「モン・パリ」から連綿と続く宝塚の伝統を学んで世に問うた作品であったこと(例えば、オープニングにある、人々が並んでの振りは、「モン・パリ」の汽車の動輪を見立てたラインダンスの引用である)を指摘するにとどめ、作品論及び在団者の演技についてはまた別個の機会に譲ることとしたい。

 「エドワード8世」で、一色瑠加は主人公の弟であり、その退位の後にジョージ6世として王位を継ぐこととなるアルバート王子を演じた。難しい吃音症の表現も含め、とても誠実な舞台だった。彼女のように、きっちりとした演技を見せることのできる存在が、月組の芝居を支えてきたのだ。
 最近の作品で強く印象に残っているのは、昨年の「アリスの恋人」のジョーカー役である。どちらかというと端正な舞台のイメージがあった人だったのが、おヒゲ姿もワイルドに、はっちゃけた演技を見せていて、舞台人としての新たな展開にわくわくしたものである。今回の「Misty Station」では、主人公Mistyの旅の夢先案内人であり、「銀河鉄道999」の名キャラクターをも彷彿とさせる車掌の役どころに扮し、はじけた姿でキラキラ踊っていたのが、忘れがたい。
 娘役として重要な役どころを担ってきた彩星りおんも退団である。彼女の当たり役といえば、2010年の「ジプシー男爵」のアルゼナだろう。主人公に「イーだ」なんてあっかんべーして見せて、憎まれ口を叩く姿がとても生き生きとチャーミングだった。今回の「Misty Station」でも、男役から転向したそのキャリアを生かした彼女なりの娘役像を垣間見せていただけに、残念である。

 2010年のショー「Rhapsodic Moon」の“心の名場面”は、都会の夜の街でスタイリッシュなダンスが繰り広げられる“Moon Dance”のシーンだった。劇場で観ていて、この世界と空気全部をカプセル詰めにして、家に持ち帰りたい…と思うほど胸が躍ったのは、2002年のミュージカル「ガイズ&ドールズ」を思い起こさずにはいられなかったからである。そんな感慨を支えていたのが、スーツにソフト帽という男役の一つの定番のいでたちで踊る、青樹泉の舞台姿だった。彼女の男役姿には、「ガイズ&ドールズ」から「Rhapsodic Moon」まで確かに受け継がれてきた、月組の男役精神が宿っていた。組カラーなるものは今でもやはり存在していて、月組には月組ならではの男役の雰囲気というものが確かにあるのである。スタイリッシュで、一つ端正さに貫かれたラインがあって、そんな中から、男役の香気がふと立ち昇る。「Misty Station」の魔都上海の場面でも、青樹のスーツ&ソフト姿に、惚れ惚れした。
 最近の彼女の舞台には、あたたかさと優しさと、ああ、確かに月組を観に来たんだ…という安心感を覚えさせるものがいつも漂っていた。この人がいるから大丈夫、そんな安堵感。だから、「Misty Station」で、はしだのりひこ&シューベルツの「風」を歌いながら明るく銀橋を渡っていく姿を観ていたら、何だか余計にどんどんさみしくなっていってしまった。「エリザベート」のルドルフ。「紫子」の風吹。「スカーレットピンパーネル」のデュハースト。「ジプシー男爵」のホモナイ伯爵。「我が愛は山の彼方に」の玄喜…。自分がよく知っている職業の役どころだと、どうしてもその分シビアに観てしまうところがあるけれども、「エドワード8世」の新聞記者、ブルース・ロッカート役も、同業者として誇りに思える造形だった。初舞台「ノバ・ボサ・ノバ」から13年、心温まる舞台を本当にありがとう。