藤本真由オフィシャルブログ

 今年のテーマは“受け入れる”。状況を受け入れる。運命を受け入れる。他者を受け入れる。自分自身を受け入れる。ときに受け入れがたきことあり、それを受け入れるもまた、人生。

☆壮一帆の舞台
「壮一帆YEAR END DINNER SHOW」〜「カウントダウンパーティ」
「cube三銃士 Mon STARS Concert 〜Returns〜」(ゲスト出演)
「エドウィン・ドルードの謎」
「SO KAZUHO 悲しみよこんにちは」
「Dramatic Musical Collection 2016」(ゲスト出演)
「扉の向こう側」
「壮一帆クリスマスディナーショー2016」

 5月の「SO KAZUHO 悲しみよこんにちは」はシャンソン・コンサート。楽曲一つ一つの世界を深い感情と濃いドラマ性をもって描き出すその歌唱が、シャンソンとの高い親和性をもつことを証明してみせた。とりわけ心に残るのはジャック・ブレルの歌唱で名高い「行かないで」だが、その一方で、彼女にひときわ似合う明るく幸せな歌を歌っていってほしいな…という思いも。

☆蜷川幸雄演出の舞台
「元禄港歌」
さいたまネクストシアター×さいたまゴールドシアター「リチャード二世」
彩の国さいたまシェイクスピア・シリーズ「尺には尺を」

☆四代目市川猿之助の舞台
「元禄港歌」
六月大歌舞伎第一部&第三部
「エノケソ一代記」

☆三谷幸喜作 NHK大河ドラマ「真田丸」&「エノケソ一代記」(演出・出演も)

☆熊川哲也振付・演出 Kバレエ・カンパニーの舞台
「ドン・キホーテ」
「白鳥の湖」
「トリプル・ビル」
「シンデレラ」
「ラ・バヤデール」
「くるみ割り人形」

☆松尾スズキ作・演出・出演「ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン」

☆「ビニールの城」

☆「スカーレット・ピンパーネル」の石丸幹二

☆フィギュアスケーター羽生結弦の演技

他に
・宝塚花組「For the people−リンカーン 自由を求めた男−」「ME AND MY GIRL」の瀬戸かずや
・「家庭内失踪」の風間杜夫 ファジーさが魅力の岩松了の劇世界、その中でヴィヴィッドに生きる人物を巧みな演技で構築。演技賞ものである。
・「8月の家族たち」「鱈々」の木場勝己 妻が不倫してできた、自分の血を分けたのではない息子を、そうとは知らぬふりをして愛おしみ、妻の不倫相手に対しては、親戚として、人間として敬意を払い続ける「8月の家族たち」のチャーリー。ブロードウェイ公演を観た際には印象に残らなかったこの役のドラマ、彼の背負った哀しみ、その優しさを輪郭鮮やかに描き出した。「鱈々」では粋がるグラサン姿も鮮烈に、娘の結婚候補をいかさまギャンブルでカモにするトラック運転手役。飄々とオフビートながら、どこか生きる哀しみを感じさせる役柄の造形だった。
・山下洋輔×勅使河原三郎「up」

 2016年のインスピレーション大賞は、荒井祐子&熊川哲也が踊ったKバレエカンパニー「白鳥の湖」に。チャイコフスキーの魂、その真髄に迫る名演。観劇を超えて、私の生涯の確固たるメルクマールとなった瞬間。そんな瞬間をバレエで味わったという意味では、かつてロイヤル・バレエ団時代に熊川が踊った「スケートをする人々」と双璧を成す。「トリプル・ビル」での荒井の「ラプソディ」、熊川の「アルルの女」も素晴らしかった。同世代の優れたダンサーたちの活躍に、心から敬意を表したい。「ドン・キホーテ」での篠宮佑一の主役デビューについては既に記したが(http://daisy.eplus2.jp/article/434864869.html)、新星・矢内千夏の「白鳥の湖」での主役デビューという話題もあった。若手の台頭もまた目覚ましいところである。
 Kバレエの「白鳥の湖」「ラ・バヤデール」と、美しいバレエ・ブランの場面を観ていると、…最近、厳しく指導にあたるバレエ・ミストレス前田真由子の姿が舞台上に浮かんで見えるような思いにとらわれることがある。「くるみ割り人形」の男性ダンサーの活躍では、バレエ・マスター遅沢佑介の面影ににっこり。荒井祐子はKバレエを支えるKバレエスクールの校長である。熊川哲也芸術監督の美を、多くの人々がその情熱で支えている。その様が美しい。
 「ラプソディ」の荒井祐子の項で、私は、日本の女の子には日本の女の子の美があり、その意味で彼女を美の同志と考えていると記した。そしてまた、日本の男の子にも日本の男の子の美がある。Kバレエのダンサーの活躍を通じて、そんな命題にも取り組んでいきたい。
 日本人にいかなるバレエが可能か。日本人にいかなる美が可能か。その追究はひいては、人間にいかなる美が可能か、そんな普遍性をもった問いかけとも重なっていく。同い年の、美の世界の幼なじみとして、熊川哲也芸術監督と彼が魂をもって率いるKバレエカンパニーの今後の活動に、さらなる大きな期待を寄せたい。

 「♪六月、七月、八、九月/あひるの体調いまいちだった〜」
 ↑だいぶ昔の曲&いささか字余りですが、「圭子の夢は夜ひらく」のメロディでお読みください。いや、今はこうして歌って笑い飛ばせておりますが。Kバレエでは一年のうちにチャイコフスキー三大バレエを上演したというのに、「眠れる森の美女」をどうしても見に行かれず、四代目市川猿之助が歌舞伎座を三か月連続で熱く沸かせているというのに、途中から参加できなくなるという…。夏の暑さにバテバテになりながら、思った。今年は「心のベスト」発表はするべきではないのではないか。というか、体調が戻らなければそもそも発表できないのではないか。体調がよければもっともっと行きたい公演があった。観たい舞台があった。…でも、途中で思い直した。2016年も、いつもの年と同じように、いや、体調がいまいちな分、もしかしたらいつもの年よりも懸命に、あがくように生きた。その軌跡として、やはり書いておくべきではないのか。人生には偶然も、めぐり合わせもある。そのとき体調がよくて観られる舞台もあれば、観られない舞台もある。この先だって老いていく。身体がどうなるかわからない。時間と体力に限りのある不完全な一人の人間が、そのときどきにそれでもベストを尽くして観、書く、生の軌跡。読む人がそれぞれそこに何らかの意味を見出してくれれば、それでいいのではないか――と。
 こうして書いてきて、すべての生の瞬間がとても愛おしく、そんな時間を共に過ごすことのできた皆様に、心から感謝。
 いや、毎年、一年の終わりのこの時期、「…どう考えても後一日、足りない…」と思いながら過ごすのですが。12月26日、ワム!のジョージ・マイケルがクリスマスに息を引き取ったとかつてのジョージの担当である友人からメールが来たときは盛大にダメージを食らい、もはやここまで、もう書けないんじゃないかと…。彼女がジョージの取材に行った際、サインをもらってきてくれたこと。その後、アルバム「ペイシェンス」のライナーノーツ執筆のため、一人ロンドンに出張し、ジョージ・マイケルその人にインタビューできたこと――そのときの担当者も訃報に際し連絡をくれて。それにしても。デヴィッド・ボウイとプリンスとジョージ・マイケルが同じ年に亡くなるって…。それを言ったら、蜷川幸雄と平幹二朗も…。
 「しかし、今、このかけがえのない今、世界はそこにある」(マイケル・フレイン作、平川大作訳「コペンハーゲン」より)。生きている者は生きていかなくてはならない。生の限り。いつかあの世で、かの人たちと笑って出逢うために。
 以前、鬼の事務局つまりは夫(ポケモンGOを始めて以来、5キロ以上の減量に成功!)と、死者をインスピレーション大賞に含めるかどうか話したことがあって、それは違うと思うとの意見により、リヒャルト・シュトラウスを大賞から外したことがあり。
 すべては、同じ時代、共に生きる皆様との大切な時間あってこそ。皆様、2016年も本当にありがとうございました。2017年もよろしくお願い申し上げます。どうか皆様、くれぐれも体調にお気をつけて、よいお年を!


 イギリスの劇作家アラン・エイクボーン作「扉の向こう側」の初演は1994年。1974年、1994年、2014年に生きる女性たち三人が、時を超えて共闘し、それぞれの殺される運命を何とか変えて生きようとする。今回は2016年の上演ということで、設定が、1996年、2016年、2036年に変更されている。
 1996年。20年前。その前年に結婚した夫がイギリスのケンブリッジ大学――奇しくも劇中言及がある――に留学、二年間の別居生活が始まった。その二年間で私は計12回イギリスを訪れ、かの地のさまざまな魅力にふれ、そしてロンドン・ウエストエンドでストレートプレイにミュージカルと芝居見物を楽しんだ。「扉の向こう側」こそ、夫の留学前にロンドン公演が終わっているから観ていないけれども、こんな感じの作品、よく二人で観たな…と、懐かしかった。タイムスリップして闘うことによって、女性三人の運命は変わり、殺されていたはずの三人は殺されることなく、物語はハッピーエンドを迎える。ちょっとエッチなギャグも盛り込まれたセリフの妙で笑わせる、観劇後ほっこりして帰れるウェルメイド・プレイである。実は日本であんまり上演されないタイプの作品のようにも思う――という話で、あるとき大いに盛り上がった。高等演劇教育が日本に根付いていないことが原因ではないかという話も出た。私が思うに、観劇文化の違いもあるように思う。日本においては観劇は趣味の一つであって、夫婦やカップルより同好の士と楽しむものになっているような――もちろん、夫婦やカップルで同じ趣味を分かち合えている場合はその限りではないが。けれども、例えばイギリスでは、劇場に夫婦やカップルで行くということが生活の一部としてもっと根付いているのではないだろうか。ミュージカルにしても、そんな姿を多く見かけたように思う。Kバレエカンパニーの「くるみ割り人形」あたりになってくると、日本においてもそんな幅広い客層が客席に見受けられるように思うけれども。
 もっとこういう感じの作品、日本でも上演していってほしいな…と、私は今回の「扉の向こう側」を観ていて思ったのである。6名のキャストそれぞれが大いに力量を発揮した、充実の舞台だった。
 2036年のプーペイことフィービーを壮一帆、2016年のルエラを一路真輝、1996年のジェシカを紺野まひる、女性陣は三人揃って宝塚雪組のトップスター経験者である。私はちょうどこの作品上演前の半月、「エリザベート スペシャル・ガラ・コンサート」の公演プログラムのための取材をしていて、一路さんを含む「エリザベート」日本初演メンバーの方々に、まさに1996年当時のお話をうかがっていた。一緒に1996年にタイムスリップしていたわけである。そんな背景もあって、一路ルエラが、ときどき気弱になる壮フィービーを大いに叱咤激励し、殺される運命を変えようとりりしく闘う姿を観ていたら、――女性たちの生きる道が時代時代でつながっていっていることを、より深く実感したのである。「エリザベート」の例を引けば、1996年の雪組による日本初演で、一路トートをはじめ、関わったすべての人々が尽力することがなかったら、そしてその後作品に携わったすべての人々が尽力することなかったら、作品は今日のような名声を得ることはなかっただろう。そうやって作品は伝承され、後の時代に受け継がれてゆく。宝塚でいえば、男役芸、娘役芸といったものも同様である。もっと敷衍するならば、すべての女性が生きる道が、後の時代に生きる女性たちの生きる道につながっている。例えば私は、渡辺美佐子の舞台にふれて、…この人が人生賭けて切り拓いてきた、その道を決して無駄にしたくない…、そう思った。先人たちの頑張りにふさわしい人生の後輩でありたい、そう思った。「扉の向こう側」でエイクボーンが描きたかったのは、決してフェミニズム的に声高ではないものの、時を超えた女性たちの連帯ではなかったか。戯曲冒頭に描かれる近未来は暗い様相を呈しているが、女性たちの奮闘の後で描かれるラストの近未来は幾分明るいものとなっている。今を生きる私たちのちょっとした決断一つで、未来は変わる。エイクボーンはそう告げている。
 私は今回、取材もあって観劇前に戯曲を読んでいて、「…これ、戯曲を読まないでまっさらの状態で観たかったな…」と思ったのだった。その最大の理由は、ラストで主人公フィービーが遂げる劇的な変化にある。冒頭、彼女はSMクイーンとして我々の前に現れる。それが、時を超えた奮闘の果て、彼女は、冒頭で客として接した男リースの養女となっている。リースの妻で、自らの殺される運命を防いだルエラが、孤児であるフィービーを孤児院から引き取ることを決意したからである。イギリスでの上演においては、フィービーの所属階級が、ワーキング・クラスから恐らくはアッパー・ミドル・クラスあたりへと上昇していることが、彼女のしゃべる英語の違いによってはっきり示され、また客席から大いに笑いの起きるところだろうとも思う(イギリス社会における階級文化の違いについて知る上では、「階級にとりつかれた人びと」をはじめとする新井潤美の一連の著作が面白い)。この点、日本での上演では効果はそこまで出せないのは「ME AND MY GIRL」と同じである。さて、私が戯曲を読んだ段階で一番気になったのは、リースとルエラの養女となっていたならば、フィービーには二人の娘として育った幸せな記憶があるはずだが、タイムスリップしてきてフィービー本人すら自分の変化に困惑している状況では、その記憶というものははたしてどこに行ってしまっているのだろう――ということである。幸せな記憶は生きるよすがである。例えば生きることが困難に覚えたとき、人は幸せな過去を振り返ってまた前へと進んでいく力とするだろう。その幸せな記憶すべてがない状態だとしたら――? もちろん、フィービーを演じる役者の側としては、終幕でリースとアルバムをめくり、過去の写真を見ているうち、その記憶が戻ってくるという演技にすればよいわけであるが、観客にとっては、「この人はもはや、孤児院育ちで孤独に生きてきた女性ではなく、養女として幸せな家庭に育った女性である」ということを飲み込むにはちょっと展開が速すぎるようにも思う。けれども、フィービーが養母ルエラのもとでどんな少女時代を過ごしたかは、殺される運命を防ごうとする二人の奮闘においてちゃんと想像できるようになっているのだな…と、一路ルエラに対する壮フィービーの演技を観て感じたのである。どこか、母に接する子供のように甘えた部分があって、かわいらしかった。大いに腑に落ちた演技だった。
 フィービー、ルエラ、ジェシカ、三人を殺そうとして結局は自分が命を亡くしてしまうジュリアンを演じた岸祐二は、美声が実に凄みを帯び、それは怖かった! 2016年と1996年の場に登場して二つの時代をつなぐホテルのガードマン、ハロルド役の泉見洋平は、個性的な声がコミカルな演技にチャーミングに生きた。リース役の吉原光夫も、冒頭とラストでやはり大変化を見せ、1996年の場面では若々しい部分も披露。ラストではフィービーの養父となっているが、その際彼女に対して発する落ち着いた声の響きの中にある慈愛の優しさが胸を打つ。紺野の、たまさかちょっと素っ頓狂に上がる様が魅力の声。一路の、微細なトーンを行き交いときにねっとりとした魅力を生み出す声。壮の、ときに海外映画の女優をも彷彿とさせる、からっとあっけらかん、それでいて心の温かさを感じさせる声。声。声。――そう、全員がミュージカルで活躍するキャストによるこのストレートプレイは、そのセリフを響かせる声の魅力を大いに楽しめる舞台なのだった。そして観客のため、最後には全員揃っての歌の大サービス。
 「…まゆちゃんは過去に戻って運命を変えたい?」と問われて「ううん!」と即答した。――自分でも意外だった。あのときああすればよかった、こうすればよかったとあれこれ考えるのかと思った。でも、問われて即座に返す答えが一番の自分の本心なのだと思う。我々は皆、一度限りの不可逆の生を生きている。舞台も同じである。同じ作品の公演とて、二度と同じ上演はない。だいたいが私は、優れた舞台を観ているときが幸せなのである。生きていてよかったと思う。生まれてきてよかったと思う。その思いの前に、たとえあったとしても後悔はすべて吹き飛んでいる。――そして、「ううん!」と即答した私に、「まゆちゃんはそう言うと思った!」と答えが返ってきたのだった。
 幼稚園のときからの男性アイドル遍歴といえば、ジュリーこと沢田研二、たのきんトリおの田原俊彦、小学5年生でカナダに渡りMTV文化にどっぷりはまる中でふれたカルチャークラブのボーイ・ジョージにワム!のジョージ・マイケル、そしてニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックにテイク・ザット、等々――。どうも子供の頃から性差を超えて傾いている存在にも心ひかれていたようなのだが、20代の一時期、ボーイズ・アイドル評論家になろうと真剣に考えていたことがある。90年代中盤、夫が留学しているイギリスに行くたび、名も知らぬアイドル・グループのCDをジャケ買いしては聞きあさる。写真のルックスだけで選んでいるとたまに全然アイドルではなかったりして。その当時入手した珍品の中には、ちょうどEメールのはしりの頃であろう、その名もEmaleなるグループの「We Are Emale」(あひるが邦題をつけるなら「俺たちE男」)という“アイドルは連呼する”ソングがあるが、それはまあさておき。
 SMAPにはまったのはちょうどその頃、「SMAP×SMAP」の放映が始まり、私がまだ新米記者だった時代の話である。日本にも遂にこんなアイドル・グループが現れたのか! と感激した。新鮮だった。番組を録画して観、アルバムもすべて買い揃えた。たまにメンバーの取材に行くこともあった。ドラマ「名古屋嫁入り物語」にゲスト出演する草g剛の取材のため、名古屋に出張したことは忘れがたい思い出。
 しかし、次第にある思いがあひるの心に湧き上がる。…解散しないんだな…と。何も積極的に解散してほしかったわけではない。けれども。ボーイズ・アイドル評論家を志していたあひるからしてみれば、アイドル・グループにはメンバーの脱退や解散がつきものなのである。専科生を除き、宝塚歌劇に退団がつきものであるように。解散までいってそのグループの物語が完成するというか、第二章が始まるというか。ワム!もニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックもテイク・ザットも解散した。人間だから、若い頃から活動していくうち、いろいろ方向性が違ってきて、それぞれの道を歩みたくなったりするのも自然な話なのである。ましてやこれだけ異なる個性が一堂に会したグループなのだから。
 それぞれが個性を発揮しながら、解散しないでスーパー・グループであり続けるところもまた、SMAPの斬新なところであるのだろうとあひるは思った。ちょうどその頃、舞台芸術の評論の道を歩み始めたということもある。一時のような熱狂ではなく、同じ時代を生きる者として、SMAPの活動を見つめていたように思う。そして、メンバーが舞台に立つ際には、舞台評論家としてその活動に向き合ってきた。
 一連の解散報道に接して、私が舞台評論家として非常に残念だったのは、SMAPのメンバーの舞台役者としての今後の可能性にふれる記事があまり見られなかったことである。ということで、過去に書いた内容と重複することも承知の上で、ここ数年、劇場空間で接したメンバーの活躍について、記しておくこととする。

 もちろん、それまでも彼の舞台は観てきていた。けれども、私が舞台役者草g剛の可能性に大いに目を拓かされたのは、2009年の“謝罪会見”の際なのだった。…私自身を含む多くの人々は何も具体的な迷惑なんてかけられていないんだから、そういった人々に謝る必要なんてまったくないですよ、そんな思いで会見の中継を見ていた。――私はあれほどまでに素晴らしい会見を見たことがない。私は日頃、劇場空間で、戯曲というフィクション=ある種の“嘘”における劇作家や演出家や役者の思いが真実であるのかどうか、見極める営為に従事している。そして、彼の言葉に嘘偽りはなかった。己の心を実に率直に語っていた。一番心揺さぶられたのは、失敗の原因となったお酒をまた飲むかと問われたときの表情である。さまざまな感情がないまぜになった表情を一瞬浮かべて、そして彼は、人間だからまた飲むこともあるだろうと述べた。人として実に誠実だと思った。こんなにも大勢の前で己をこれほどまでに潔くさらけ出すことができるのであれば、これはもう、素晴らしい舞台役者になるしかないだろう! 、そう思った。その失敗が原因でもし、テレビ界というところに場所がなくなるようなことがあっても、あなたには舞台芸術界があります! と。
 実際には彼はテレビ界から締め出されるようなことはなく、安堵した。そしてその会見から一年半ほどして、草gは世田谷パブリックシアターの舞台に立った。世界第二の高峰で遭難した二人の男性の心情を描く「K2」、相手を務めるのは堤真一である。――圧巻だった。二人をつながれているザイルを切らなくては、一人は助からない。そんな極限状態を演じる草g剛を観ていて、”A friend in need is a friend indeed――まさかの時の友こそ真の友”という諺が心に浮かんだ。彼はその極限を知っていた。その際救ってくれた友に心深く感謝していた。To err is human, to forgive divine.意識的であれ、無意識であれ、過ちを犯さない人間などいない。そんな人間の真理を知ったからこそ、舞台役者としてここまで飛躍できたのである。私は件の会見の際抱いた、「これはもう、素晴らしい舞台役者になるしかないだろう!」との思いが見事に叶えられたことがただただうれしかった。
 その一年後に演じた「ぼくに炎の戦車を」の好演については、公開稽古レポートにも記した(http://etheatrix01.eplus2.jp/article/300944030.html)。今でも、舞台終盤、ウィリアム・ブレイクの詩を誦する際の、鮮烈な白い炎のような魂のほとばしりが心に突き刺さっている。そして、香取慎吾とタッグを組んだ三谷幸喜作・演出「burst!〜危険なふたり」(http://daisy.eplus2.jp/article/431853256.html)。この作品における秀逸な仕掛けとして、電話だけでつながっている、爆弾を仕掛けられた人と爆発物処理専門家とを、作品の途中で互いに役を取り換えて演じるのだが、前半の爆弾を仕掛けられた人役で見せたどこか愛すべき脱力感がとりわけ心に残る。そしてギターを奏でてのフィナーレの、とぼけた自然体のおかしみ。

「burst!〜危険なふたり」では、舞台役者香取慎吾についても発見があった。彼の舞台はその前に、同じ三谷幸喜作・演出の「TALK LIKE SINGING」を観ているのみだが、そのときはどこか、“香取慎吾”を演じているようにも感じられた。だが、盟友草g剛を相手にしてのこの舞台では違った。実にストレートで素直な演技をする人なのだなと感じた。香取に関しては、前半で演じた爆発物処理専門家役で、眼鏡姿もきりりと、相手の説明の要領の得なさをぐいぐい突っ込んでいく様が忘れがたい。

 稲垣吾郎が今年主演した「恋と音楽 FINAL〜時間劇場の軌跡〜」の楽しさについてはすでにふれた(http://daisy.eplus2.jp/article/434608227.html)。公演の際には報道も喧しくなっていて、だから観ていてせつなかった。前にこのシリーズを観ていて、…稲垣吾郎は、SMAPのメンバーみんなでこんな舞台をやれたら楽しいだろうな、そんなことを考えているんじゃないかな…と感じたことがあったから。それにしても、世間ではあれこれ騒ぎ立てているというのに、彼は実に飄々としてプロフェッショナルで、カーテンコール後に出てきた際の挨拶では観に来たファンと観客に気遣いまで感じさせて、そして何より舞台姿が素敵だった。その姿に、二十年ほど前、私が初めて好きになったSMAPのメンバーが他ならぬ彼であることを、懐かしい人に思いもかけずうれしくめぐり会うようにはっきりと思い出したのである。

 アイドル・グループには解散がつきものである。一緒にやっていこうと思えなくなった、それ以上の解散理由などない。説明責任もない。もちろん、いろいろあって解散したけれども、また一緒にやろうぜと再結成するグループも少なくない。
 それにしても偉大なグループである。地元の商店街で買い物していて、ふと立ち寄った店で店員とお客さんとがSMAP解散について熱く語っているので、思わずあひるも上記のような論を引っさげ熱く参加したり。そんな存在、他にあるだろうか。
 今日まで長い間、多くの人々と共に時代を生きてきてくれて、本当にありがとう。明日からも、一人一人がそれぞれの場所で最高に輝いていけますように――。
 何しろ一時期は全アルバムを集めて聴きふけっていたくらいだから、好きな曲はたくさんあるけれども、その中でもとりわけお気に入りの曲、メンバーが中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草g剛、香取慎吾の6人だった頃の、永遠の青春を讃えるようなユーフォリックな“アイドルは連呼する”ソングから一節を引いて、この文章をしめくくることとしたい。

S.M.A.P. OK!
そうさ合言葉はWe Take A Chance
夢を抱きしめて…
                   (「SMAP#2」より)
 戯曲「元禄港歌」に出会ったのは、壮一帆が宝塚で、近松門左衛門の「冥途の飛脚」が原作の「心中・恋の大和路」に主演していた頃。秋元松代が書き、蜷川幸雄が演出した「近松心中物語」が、「心中・恋の大和路」にどれくらい影響を与えているかが知りたくて、戯曲を取り寄せた。と、同時収録されていたのが「元禄港歌」。読み終わって、巻末の初演の配役表を見ると、瞽女の糸栄役に嵐徳三郎と記してある。…女方が演じた役なのだ、と思った。まさかその数年後、四代目市川猿之助がその役を演じることになるとは思ってもみなかった。
 さて、蜷川幸雄&四代目がタッグを組んだ前作「ヴェニスの商人」で、私は、四代目から一瞬たりとも目を離したら負けだ! との思いでそれは一生懸命ぐりぐり観ていたら次第に目の焦点が合わなくなり、帰る足で眼科に駆け込んだことは前にも記した。「元禄港歌」観劇一か月前にはすでに別件で病院送りになっている。またもやこのコンビに、二件目の病院送りにされたら困るなあと、ちょっと緊張してシアターコクーン初日(1月7日、18時半の部)に足を運ぶあひる。
「…この劇場はいい気に満ちている!…」
 シアターコクーン初登場にして初主演の四代目の感慨が伝わってくる。firstコンサート「Feel SO Good」でこの劇場の舞台に初めて立った壮一帆の感慨(http://daisy.eplus2.jp/article/431592283.html)と、表現の違いをお比べください。百戦錬磨の四代目でも、初めての劇場だと多少緊張したりするものなんだな、と思った。
 「元禄港歌」で四代目演じる糸栄は、訳あって自分の産んだ子、信助を育てていない。その父である男とその本妻とに預け、遠く思い続けている。思いもかけず息子に出会っても、自分が産みの母であるとは名乗れない。息子は息子で、何とはなしに自分は今の母の本当の息子ではないように感じていて、糸栄に出会うと何か運命の糸を感じる。
 実の親子とは互いに言えない親子。…私はどうしても、自分の母の妹に養子に出された私自身の亡き父と、彼の実の母との関係を思い出さずにはいられなかった。養子に出したとき、まさかその出来事がそんなにも父の心に傷を残すことになるとは、実の両親は思っていなかったらしい。その一方で、父が半ば親に捨てられたように感じていたことは、以前記した。「俺は墓守じゃない」というのが生前の父の口癖で、それもあって、私たち家族は父を山口の先祖代々の墓には葬らず、私の先輩が住職を務める実家近くの寺に新たに墓を建てた。それが、後から取り寄せた戸籍を見てびっくり、母が新しく墓を建てる決意をした日というのが、まさに父が養子に入った同じ日だったのである。偶然にしては不思議すぎる話である。
 不思議な話をもう一つ。私は父の朝早くからの手術の際、病院で立ち合ってはおらず、家で寝ていた。マニラに住んでいる夫と毎晩夜中の1時過ぎまでスカイプで話をして、その後仕事したりあれこれしていると就寝が4時くらい、それから昼くらいまで寝るというのが当時の生活パターンだった。父の手術は朝早くから行われていたが、…まどろんでいると、「真由ちゃん! 真由ちゃん!」という父の声がする。私は眠りながら、「お父さん、こっちこっち!」と父の手をつかんで引っ張る。そうしたら次第に、父を取り巻いて手術しているお医者さんの声というか心の声が聞こえてきて…。「よし、悪いところは取ったから、後は縫合して…」等々。…あ、お父さんの手術成功したんだ…と、私は確信して眠っていた。立ち合った家族がそう知らせてくるだいぶ前から。…決して手術を受けたいものではないけれども、もし私が手術を受けるようなことになったら、やはり誰かに何かが伝わるものなのだろうか。それはさておき。
 後に父が倒れたとき、病院で長い間待っていた。そのとき、この手術のときのことを思い出し、こうイメージしてみた。三途の川を渡りそうになっている父の手を、再びつかんでこっちこっちと引っ張り戻す。…そんなことを考えていたら、父の心臓が再び動き出したのだった。それから実際に息を引き取るまで数日あった。その数日が私たち家族には必要だった。父がどんな人間であったか、どんな弔い方がふさわしいのか、今一度きちんと向き合い、考えるために。
 非常に興味深かったのは、父が倒れてから息を引き取るまでの間に、どこからか、「…真っ暗闇で何も見えない!…」と伝わってきたことである。そしてその後、いろいろ見えるようになったこともまた伝わってきた。こう、解釈した。目が見える人間は、通常は目で物事を見ている。しかしながら、死によって現世における己の肉体を失ったとき、もはや目に頼るわけにはいかず、すべてを心で見るしかない。感じるしかない。“目で見る”から“心で見る”へ、その移行期に、「…真っ暗闇で何も見えない!…」状況があるのではないかと。その後、次第に心で見られるようになり、彼岸もまた見えてくる。「元禄港歌」のラストでは、信助は視力を失い、そして糸栄と親子の名乗りをあげ、瞽女の初音を娶り、盲目の三人が共に生きていくこととなる。このとき信助は、自分は今まで目があいていたが何も見てはいなかった、真っ暗な世界になっておのれも見えてきたと言う。この場面で、「…真っ暗闇で何も見えない!…」からの流れを思い出した。信助は視力を失って初めて実の母と互いを親子であると認めることができる。愛する女と寄り添い生きる決意ができる。「元禄港歌」のラストをハッピーエンドととるか、悲劇ととるかは人それぞれであろうとは思う。けれども、例えば私の父は、死ぬということがなければ実の母の息子に戻ることはできなかったわけである。家に縛られて。

 初日から三週間経ち、私は再び「元禄港歌」を観に行った。気になっていた。その数日前、とある歌舞伎役者の方のブログにアップされていた写真で見た四代目が何だか非常に疲れている。歌舞伎の昼夜奮闘公演などに比べて出番もそこまで多いわけではないし、いったいどうしたのだろうと。舞台を観てわかった。
疲れてるんじゃなくて、憑かれてる〜〜〜。
 二幕冒頭、「葛の葉子別れ」を三味線で弾き語る四代目扮する糸栄のお腹のあたりに、どうにも白い狐が見えるのだった。…巫女力、降ろす力が一段と高まったが故だと感じた。壮一帆がフェルゼンを演じた「ベルサイユのばら−フェルゼン編−」のとある公演を思い出した。マリー・アントワネットとフェルゼンの魂にふれた夜。…役柄について日々考え、公演している。と、「この人は自分の話をわかってくれる」と、魂が寄ってきてしまうということだと思う。憑かれていると言っても何も何か悪さをしたいということではないわけで、舞台を観ながらただただ客席で祈った。自分の産んだ子供を育てられなかったすべての母たちの哀しみのため――。
 それで思ったのである。秋元松代はもしかしたら、そうした女たちの声を聴いて、この戯曲を書いたのではなかったかと。声を聴いて書く作家は少なくない。例えば三島由紀夫。「カラーパープル」のアリス・ウォーカーは、作品を書くにあたって、自分が精霊の霊媒の役割を果たしたとはっきり記している。そして――。
「…真由ちゃんごめんね、ゆうちゃん、こっちに来たかったみたいで…」
 ――祖母の声がした。ゆうちゃんとは私の父のことである。――二度父の手を引っ張って此岸に連れ戻した(と自分では思っている)私は、最後は、父の実の母、つまりは祖母との引っ張り合いに負けたな…、そう父の死を受け止めたのである。まあ、大岡裁きの昔から、引っ張り合いにおいては実母が最後は勝つのではあるが。無論、私は、父が死んでしまったから、こうあれこれ後から考えているだけのことで、もしも今、父が生きて私の目の前で笑っていてくれたとしたら、こんなことは一切考えず、ただ父の優しさがそこにある幸せをかみしめて、共に笑って生きていることだろう。
 「真由」と「真田」って字面が似てるよな…と、小学生のときから、同級生の真田くんを見るたび思っていたあひる。それはさておき。
 三谷幸喜が2016年の大河ドラマを書くということで、非常に興味は持っていたものの、観始める前から今年は絶対全部観ようと決意していたわけではない。劇場通いに忙しいと、テレビを観る時間がない。録画機能はしょっちゅう壊れたまま放置されている。大体が、夫が大学に合格した春に東大駒場生協で買ったテレビを四半世紀以上使っている。綺麗に映るが、いまだブラウン管。大学生の頃はよくドラマを観ていた記憶があるけれども、テレビライフをエンジョイしなくなって久しい。そもそもあひるはせっかちで、早く話の続きが知りたいので、週刊連載の漫画等も読まないというか読めない。子供の頃から続きが早く読みたくてじれていた。続き物とは相性がいまいちなのである。それが。第一回目「船出」で、真田信繁=幸村(堺雅人)の父を演じる草刈正雄を観ていて、…作家が乗りに乗って書いた台詞を、役者が乗りに乗って発している、そんな非常にいい流れを感じて、観続けることに決めた。真田丸と共に、真由丸も一年間の大河ドラマ視聴の航海へと船出した気分。…途中、二度ほど挫折しかかった。長澤まさみ扮するきりのセリフが心なさすぎやしないか…と、聞いていて何だか傷つくことすらあったので。そういうときは、ネットでもやはり同様の意見が見られたので、気を取り直して再び視聴。環境もよかった。日本史にほとんど興味がなく、だからこそ今まで大河ドラマをあまり観て来なかったわけだが、今年は横にかつて日本史の鬼と言われた夫がいる。登場人物の説明のみならず、「これは通説」「これは新説」「これは独自解釈」と、適宜解説してくれる。何とわかりやすい。こうして遂に、あひるは生まれて初めて大河ドラマを一年間通して観たのだった! 見事完走したとき、何だか自分が偉業でも成し遂げたような気持ちに。いや、あひるは全然で、大きなことを成し遂げたのは、三谷幸喜&スタッフ&キャストの皆さんの方なのですが。
 ということで、49回目を観終わった時点では、「生まれて初めて大河ドラマを一年通して観ちゃったで賞」の特別賞を贈るつもりだったのだけれども、圧巻の最終回を観て、考えが一気に変わった。この最終回のために、三谷幸喜は、一年間の物語をずっと紡いできたのだな…と、胸を衝かれた。途中十分くらい嗚咽が止まらなかった。BSプレミアムで18時からの放映を観ていたので、20時からの本放送をもう一回観た。終わってからは何だか喪失感に襲われ…。
「…これがよく、人気ドラマが終わるたびにネットニュースに上がる“ロス”っていうやつか…」
 何しろ一年間、少なくとも週に一度は必ず、家族共々三谷幸喜&真田丸の人々について考えてきたわけである。脳内三谷幸喜濃度が非常に高い一年だったわけである。急に薄まる、薄められるというものではないのである。それはさておき。
 私は以前、…三谷幸喜はシェイクスピアに興味はないのかな…と書いたと記憶している。このとき私が言う興味とは、演出家としての興味であった。「真田丸」での三谷は、劇作家としてシェイクスピアに挑んでいた。武田信玄の亡霊を息子が見てしまう、序盤の印象的なエピソードは即座に「ハムレット」を思わせる。戦国武将たちの国盗りの物語に、笑いあり涙あり、彼らが家族と織り成す人間ドラマが差し挟まれる。シェイクスピアである。シェイクスピアが今日生きていたら、やはり大河ドラマを書いたであろう。リヒャルト・シュトラウスが今日生きていたら、映画音楽を書いたであろうと同じように。三谷幸喜は自身を喜劇作家と規定しているようにも思われるけれども、私は、喜劇も悲劇もどちらも行ける骨太なオールラウンダーだと、今年一年観ていて改めて思ったのである。
 圧巻の最終回、三谷幸喜は、ほとんど真田幸村を徳川家康に勝たせたいように思えた――。そして、勝負は負けたがその実質は勝っていたようにも思えた。逃げ惑う家康。いくら徳川家による支配がその後四百年続いたとはいえ、その姿はあまりに無様であった。ほとんど幸村が勝っていそうなのに、家康を狙った銃が暴発というあたりも実に興味深い“フィクション”である。一年間親しんできた登場人物たちが、一人一人、壮絶な死の見せ場を与えられ、命を散らしてゆく。その様に何だか、…タカラジェンヌたちが一人、また一人と宝塚を退団してゆくたびに、そのタカラジェンヌ人生について言葉を書き記すという自分の営為について考えた――。大阪城から頼みの豊臣秀頼がなかなか姿を現さない。終盤の豊臣家の失敗の悉くの原因となった大蔵卿局がこのときもやはり暗躍しているためだが、この役回り、蜷川幸雄がシェイクスピア作「アントニーとクレオパトラ」においてクレオパトラの侍女に与えたのと同じ解釈であった。
 三谷幸喜らしい遊び心も楽しかった。幸村たちが九度山村からこっそり逃げ出す際、宴会で踊りながら一人ずつ抜け出していくのはほとんど「サウンド・オブ・ミュージック」の脱出シーンだし、茶々が自ら甲冑を着て浪人たちを鼓舞するシーンは甲冑に羽根までついていてほとんど宝塚の男役スターのパロディ。第49回にしてようやっと、幸村が幼なじみのきりと合戦前夜に結ばれるシーンはほとんど、「ベルサイユのばら」でオスカルとアンドレが結ばれる“今宵一夜”の男女逆バージョンである。そんな遊び心の中から“心の名場面”を。かつて大河ドラマ「黄金の日日」で主人公・呂宋(ルソン)助左衛門を演じた松本幸四郎が、38年ぶりに同じ役を演じるとして話題になった。ここで助左衛門は、信繁に頼まれ、豊臣秀次の娘を呂宋つまりは今のフィリピンに逃がすことを引き受ける。ほとんど、マリー・アントワネットの遺児ルイ・シャルルを助けた宝塚版「スカーレット ピンパーネル」のパーシー・ブレイクニー、はたまたマリー・アントワネットその人と家族たちを助けた宝塚の「ルパン三世−王妃の首飾りを追え!−」のルパン三世なのだが、「助左衛門は弱き者の味方です」と言って、幸四郎の助左衛門が見せた、その慈愛の微笑みが忘れられない。
 何しろ登場人物の数が多いため、その全員についてふれる余裕は残念ながら今はないが、舞台を観て好印象を抱いている役者の活躍を観てはおお! と心で応援したり、この人が今度舞台に出るならば観に行かなくてはならない…と決意したり。渋い俳優の宝庫だった。
 さて。三谷幸喜は「遅い!」と思っていることがわかった。…私もそう思う。というか、私以上にそう思う人間がいるだろうか。…日に50遍くらい、待っていても意味がないのではなかろうか、というか今いったい何待ちなんだろうかと考えざるを得ない。このままでは何も起こらないままおばあさんになって死んでしまうのではなかろうか、とか。でもまあ、本人も一応その自覚はあるということが今年わかったし、時間が異常にかかるところも含めての人だし、今年一年、大河ドラマを毎週観続けてあひるの耐久力もまた培われたので。…あ、続き物視聴にも慣れたので、年明けはドラマ「嘘の戦争」を観る所存。
 主人公の田所は昭和の喜劇王・榎本健一ことエノケンに憧れ、その芸を真似て全国を回っている。率いるはエノケンならぬ「エノケソ」一座である。相手が「ソ」と「ン」の違いに気づいたときは、それはそのときである。彼自身はエノケンの芸のみならず、苦しみまでをも模倣しようとしている。エノケンが息子を失ったときは、自分には息子はいないので、とりあえず一人だけしかいない座員と別れようとする。
 全国巡業中、エノケソの前にとある人物が現れる。彼の永遠のライバル、古川ロッパとみえて、実は「“口”ッパ」(“クチ”ッパ)であった(24年ぶりに舞台役者として復帰した作・演出の三谷幸喜が、何だか後をひいてクセになる怪演)。エノケソ同様、相手が「ロ」と「口」の違いに気づくまでが稼ぎ時。彼はエノケソに言う。自分は悪いと思ってやっているが、君は悪いと思ってやっていないのが問題だと。すべての芸術は模倣から始まる。けれども、その模倣を超えようとしていないのが君の問題だと。エノケソは言う。それはそんなに悪いことなのだろうかと。
 そしてやがて、エノケンが右足を失うときがやってくる。エノケソも、どこも悪くないのに足を切断することを決意する(最初に依頼しようとした医者の名は間(はざま)、つまりは、ブラック・ジャック?!)。しかしその手術は彼の命を縮めてしまう。車椅子に乗ったエノケンと初めて邂逅できるかに思えたそのとき、エノケソは静かに息を引き取る――。
 私がまずは思い浮かべたのが、「デュラン・デュランが来るっていうから行ってみたら違った! G.I.オレンジだった!」のエピソードだった(G.I.オレンジについてはhttp://daisy.eplus2.jp/article/413289058.html)。行った人はさぞや脱力したと思う。そして次に思い浮かんだのが、新米記者時代に成田空港で経験したとある取材だった。テレビのそっくりさん番組のため、ブルース・ウィリスのそっくりさんとレオナルド・ディカプリオのそっくりさんが来日する、その様子を取材に行ったのである。彼らが普通にナップザックなどを背負って歩いてきて、我々が撮影している、その姿を見て、「きゃあ〜」と握手を求めにやって来る人々がいる。撮影しているからこそ本物のスターだとの勘違いを生む部分もあるのかもしれず、それは申し訳ないだろうと、あひるは、「あの、本物じゃなくて、そっくりさんですけどね」といちいち注釈を加えていたのだが、関係者の一人は「夢を壊しちゃだめです!」と言うのだった。夢って。自分が偽物のスターに会って喜んでいたと後で気づく方がショックではなかろうか。それとも、ずっと本物に会ったと勘違いしていた方が幸せということ? だいたい、スーパースターが自分で荷物抱えて歩いてワゴンに乗り込むわけないだろう!、どう考えても気さくすぎるし、おかしいって気づけ! とも思った。今でもどう考えてよいのか悩む思い出ではある。
 そのときは悩んだものの、あひるはそっくりさんが好きである。新婚旅行で訪れたホノルルで、そっくりさんショーのエルビス・プレスリーと夫と三人並んで写真を撮ったこともある。夫がイギリスに留学中、ロンドンを訪れた際には、劇場通いのみならず、雑誌「Time Out」でそっくりさんライブを見つけて行くのが楽しみだった。このそっくりさんライブ、グループ名、アーティスト名がそれぞれ凝っていて、例えば、Spice Girlsのそっくりさんが「Spiced Girls」だったり、ワム!のそっくりさんはそのナンバーにちなんで「Club Tropicana」だったり、雑誌のそっくりさんショーのコーナーを眺めているだけでおもしろかった。あひる自身は一度、ワム!とデュラン・デュランの物真似をする「Wham Duran」のライブに行ったことがある。デュラン・デュランの歌を歌って、途中でおもむろにサングラスをかけて、「ハーイ、ジョージ(・マイケル)だよ〜」と名乗った際には、もし手にトマトを持っていたら投げたかった。…どちらにも全然似ていなかった。でもこうして楽しい思い出の一つとして心に残っているけれども。
 こうして綴っていて、そっくりさんをそっくりさんとして受容するのは楽しいけれども、そっくりさんを本物として受容するのはどうか、そう自分が考えていることがわかる。エノケソも妻に「本物の、偽物――」と言われる。本物の偽物。本物と偽物。だが、本物とはそもそも、何なのだろうか――。
 例えば。私が宝塚について、あれでいいのか、これでいいのかとあれこれ言っていて、それを聞くと「藤本さんは本物をご存じだから」と言う宝塚ファンがいるのだった。このとき“本物”にはオペラや海外ミュージカルなどが含まれるようなのだけれども、それを言ったら、まるで宝塚は偽物みたいである。私はただ、本物の宝塚が観たいだけなのである。だからあれこれ言っている。ただ、では、本物の宝塚とは何かと問われると、これが難しい。確固たる答えが一つどーんとあるわけではない。人それぞれに思う宝塚があって、それをみんなで持ち寄って、宝塚というものが成立しているわけである。だから、「こんなの、私の思う宝塚じゃない!」、つまりは、こんな宝塚は偽物であると思った人は、容易に宝塚から離れていくだろう。
 宝塚の始まりには、オペラを上演したいとの創立者小林一三の夢があり、そして次第に海外ミュージカルの上演も手がけるようになっていった。でも、すべては宝塚化されてゆく。そうでなくては宝塚の舞台で上演する意味がない。宝塚で上演したからこそ、その作品から見出せる意味、魅力というものがあるはずなのである。それを、宝塚化されたからと言って、偽物になってしまったとするのもおかしいだろう。
 「エノケソ一代記」を観ていてもう一つ思い出したのが、ミュージカル「RENT」の表題曲のラスト一行、「’Cause everything is rent」だった。すべては借り物。時として、感情さえも。そう歌っていた彼らが、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」をベースにした、つまりは借り物の物語を生きながらも、最終的には、今この時代に生まれて生きることの意味を見出す。自らの本物の生、本物の感情を見出す。
 芸術家蜷川幸雄の境地に迫りたいからといって、車椅子に乗り、彼が受けたような大手術を何度も受け、死の淵まで行ってみたとて、蜷川幸雄以外の誰かが蜷川幸雄になれるわけではない。そしてその必要もない。経験は、感情は、究極的には異なる人物によってまったく同じものとして分かち合えるわけではない――芸術によって心が一つになってしまった場合はその僅かな例外かもしれないけれども、それでもその経験の与える意味自体は、それを受け止める人それぞれの人生によって違ってくるだろう。ただ、可能な限り相手の心に寄り添うことが、心を受け止める、受け入れる上では必要ではあると思うけれども。
 立ち上がって復活し、出演者全員とにぎやかに歌い踊る終幕も観ているのに、物語ラスト、ソファの上で一人死んでいたエノケソ――四代目市川猿之助――の姿が、いつまでも胸から去らない。
 公演プログラムに書かれている。劇団第七病棟による「ビニールの城」初演(1985)は、「FOCUS」による「批評家の選ぶ80年代演劇」のベストワンに輝いた作品であると。他ならぬ、私が育った雑誌である。新米記者時代、少しでも文章がうまくなりたくて、雑誌のバックナンバーから演劇関連の記事を手当たり次第に読んでいた。そのとき、当該記事にももちろん接した。
「…廃墟になった映画館での公演か…」
 観たくてたまらなくなった。時を遡ることは無理ではあるのを承知の上で。近代建築が好きで、廃墟も好きなので、その意味でも、自分がその劇空間に身を置けなかったことが残念でならなかった――作品が上演された浅草・常盤座は、藤森照信らが結成した「東京建築探偵団」が刊行した「建築探偵術入門」にも出てくる名物件なのだが、私が近代建築めぐりを始めた頃には既に取り壊されてこの世になかった――。そして、幼き日の記憶を思い起こさせる内容でもあった。「ビニールの城」の「ビニール」は、ビニールで包装された成人向け雑誌「ビニ本」から来ている。私は子供の頃から本が好きだったので、近所にあったビニ本の自動販売機が気になって、あの機械で売っているのはいったいどんな本なのか、尋ねて母親を困らせたことがある。もう一つ思い出。祖母が住んでいた中野から、私の住んでいる高円寺まで車で帰るとき、中野駅を少し南下したところにある五叉路を通るのだけれども、その一つの角に、中野ひかり座というポルノ映画館があった。そこを通るたび、…ここの看板は子供はあんまり見ちゃいけないんだろうな…ということだけはわかっていて、ちょっと緊張した。その後、ひかり座は映画館としては常盤座同様廃館になり、ときどき演劇の公演が行われた。何しろ廃墟となった映画館で「ビニールの城」を観るという経験がしたかった私は、子供の頃の緊張もどこか背負いながらひかり座に何度か足を運び、ストッキング越しにネズミに脚を甘噛みされたこともある。第七病棟が水天宮のやはり廃墟となった倉庫で「雨の塔」の公演を行った際にももちろん観に行った。…でも、これは「ビニールの城」じゃないんだよな…という思いがいつも残った。我々は過去には遡れない。観られなかった公演はどこかほとんど幻である。心の中にいつも、…「ビニールの城」が観たかった…という思いを抱えていた。
 それが。2016年8月に上演されるという。しかも、蜷川幸雄の演出で。最初はどこか信じられなかった。あれだけ欲してやまなかった舞台が遂に観られる。幻が現実になる。嘘じゃないかしら、と思った。
 ――5月12日に演出家蜷川幸雄が亡くなったとき、最初に思ったのは、「もっと演出舞台を観たかった!」ということだった。次に、「あ、『ビニールの城』!!!」と思った。大変不謹慎ながら、…お棺を開けて、芸術家の身体を激しく揺さぶったら、いったいどんな舞台を観客に見せたかったのか、どうにかわかるかしら…とまで思った。現実になると思った幻が、再び幻として消えていってしまうような儚さ…。
 しかし、関係者の尽力により、公演は行われることとなった。演出に、出演者の一人である金守珍を迎えて。観られるんだ、観られるんだ…、そんな思いがぐるぐる胸に渦巻いた。そして初日の客席に着いた(8月6日19時、シアターコクーン)。
 蜷川幸雄が見せたかった舞台とは違うと思う。そして、同じである必要などどこにもない。けれどもそれは、出演者、スタッフ、一人一人が、天国の蜷川幸雄に届けとばかり、それぞれの魂を燃やして、それぞれの限界に挑んで、それぞれの心の中にいる蜷川幸雄と対話して創り上げた、壮絶な舞台なのだった。森田剛。蜷川作品にたびたび出演してきた役者であるが、今回、今まで見せてきた以上の舞台を見せた。――いったいここに立っているこの人は、森田剛なのか、それとも彼が演じている朝顔なのか、もはやそれがわからなくなるほど、自意識も何もすべてがなくなって無になって、そんな彼の無に向かってこちらまで引きずりこまれていくような、そんな瞬間があった。宮沢りえ。私は昔、彼女が主演した「東京エレベーターガール」というドラマが好きで観ていて、…でも、あまりに綺麗すぎて、普通にいる女性を演じるのは無理かも!…と思ったことがある。その思いはどこかずっと私の胸の中にあって、けれどもこの夜、遂に私の中の虚像と実存とが結びついたのだった――。自分が登場するビニ本を所持しながらも、生身の人間としての自分とは決して向き合おうとしない朝顔に、宮沢演じるモモは空気銃を向ける。嫌いです、とつぶやきながら。そのとき、私もある人に対して怒っていた――怒っていることに、その瞬間、気づいた。――自分は菩薩じゃない! 血も流せば弱気にもなる普通の人間だ。そういう人間が書いている文章がもしも好きだというのなら、書いている人間そのものにも向き合え! 元気いっぱいで芸のことばかり考えているときしか好きじゃないと言うなら、ありえない! と――まあ最近、自分は、身体がちょっと元気じゃなくても心さえ元気なら平気で芸に向き合っていられるなとも思ったのではあるが――。自分でも二ヵ月くらい、自分の胸の中のもやもやの正体がわからなくて悩んでいたので、ものすごくすっきりした…。
 蜷川幸雄が見せたかった「ビニールの城」は幻になった。でも、私はこの「ビニールの城」を通じて、いくつもの幻と実存の重なりを見た。「ビニールの城」。それにしても、私の人生にとって、どこか不思議なめぐり合わせの作品である。
 舞台が終わり、カーテンコールで出演者たちが客席に向かって頭を下げる。そのとき、「頭を下げたいのはこちらの方です!」という気持ちになった。こんなにもさらけ出し、分かち合ってくれて、ありがとうという気持ち…。松尾スズキの書く世界は、決して綺麗事ばかりではない。時として目をそむけたくような現実や欲望も描かれている。けれども、それは人の世に確かに存在するものだ。劇作家が果敢にもアタックしていくそんな世界に、出演者たちもまた果敢にアタックしていく。
 若手長唄ユニット綾音の演奏をバックに、伊藤ヨタロウが義太夫風語り手“G太夫”として出てくる。大蛇は出てくる。死してヤギに転生した男は出てくる。松尾自らが披露する華麗なミュージカル・ナンバーは出てくる。ボーイズによるゴーゴーダンスは出てくる。人の皮を剥いで作られた椅子――ここに秘められているのは芸術論である――は出てくる。さまざまな要素をつめこんで、けれども決して劇世界が破綻することはない。そのようにきちんと一つの形にパッケージされて客席に提示されることこそ、演出の力に他ならない。観ていて私が思い出したのは、かつてシアターコクーンで観た、橋本治作、蜷川幸雄演出の「騒音歌舞伎 ボクの四谷怪談」なのだった。あれも実にハチャメチャだった。それでいて一つの世界が強固に出来上がっていた。その後あちこちの劇場で、「…ああ、『ボクの四谷怪談』みたいなことをやりたいんだな…」と思わせる作品に出会った。しかし、これが難しい。ハチャメチャ破天荒を一つの世界として成立させることは。しかも、一度蜷川幸雄がやったことをなぞったところで別に面白くない。「ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン」が優れているのは、蜷川幸雄が芸術監督を務めたシアターコクーンという場で、その精神はしっかりと引き継ぎながらも、松尾スズキが、松尾ならではのハチャメチャ破天荒を貫き、展開したところにある。それでこそ、5月に亡くなった蜷川幸雄への確かなオマージュたり得ている。岡田将生が阿部サダヲ演じる作家のボーイズラブの相手というのも、岡田がシアターコクーンの場でヴェルレーヌの想い人アルチュール・ランボーを演じた蜷川演出作品「皆既食」を思い出させずにはおかない。私は、故芸術監督に、天国から「何だ、お前たち、俺がいなくなったら全然だめじゃないか!」と言われることが、生きている人間として何より悔しいことだと思う。だからこの日、この舞台を観て、天国に向かい、心の中で盛大に叫んだのだった。「蜷川さん! 松尾さん、ものすごく頑張ってるよ!!!」と。
 岡田はゴーゴーボーイ及び女優のマネージャーの二役を演じ、阿部と寺島しのぶとが扮する夫婦それぞれから愛される役どころである。この場合は二役ではあるが、ある一人の人間が夫婦間においてさまざまな意味で共有されるというのは非常に興味深いテーマではある。阿部と岡田のキスシーンにはすがすがしい美しさがあった。
 日本舞踊をベースとした踊りを寺島が披露するシーンがあり、実に颯爽として粋だった。私自身、娘として生まれ、家の跡継ぎではないということで、子供の頃からその意味ではどこか疎外感を覚えていたということがある。それはどこか、歌舞伎の家に女として生まれた思いにも似たところがあるのかな…と、近年になって思うようになった。そんな思いで寺島の踊りを眺めていて、感じた。寺島しのぶは女性に生まれたことで、歌舞伎役者になり損ねたかもしれない。けれども、観客の方でも、歌舞伎役者寺島しのぶ(名前は違っただろうけど)を観損ねたのだと。もちろん、だからこそ、女優寺島しのぶを今、舞台上に観ることができているのだけれども。

(7月14日14時、シアターコクーン)
 7月のKバレエカンパニー「トリプル・ビル」の公演で、荒井祐子は伊坂文月とペアを組んで「ラプソディ」を踊った。振付はフレデリック・アシュトン、来年3月にKバレエで上演される「バレエ ピーターラビットと仲間たち」の振付家でもある。ラフマニノフ作曲の「パガニーニの主題による狂詩曲」を用いたこの作品に物語はなく、音楽にのって超絶技巧が展開されてゆく。音楽を観る喜びがそこにはある。
 5月の「白鳥の湖」以来、私は勝手に荒井祐子を美の同志だと考えている。日本の女の子には日本の女の子の美がある。その美は誰より、日本の女の子同士で認め合うことで、さらに確かなものとなり、磨かれてゆく。私はそんな活動を、宝塚歌劇を観、評論することで、愛する宝塚歌劇の仲間たちとずっと続けてきた気がする。そして、今ここに、新たなる分野に新たなる仲間を見出したのだ。私にとって最高のバレエ・ダンサーの一人に。荒井祐子が輝く瞬間が好きだ。ひときわ大きく見える瞬間が好きだ。細やかにステップを刻む瞬間が好きだ。彼女の美しい心がその踊りに発露する瞬間が好きだ――。
 「ラプソディ」では、振付を正確にこなす、そんな次元を超えて、音楽や振付に対し、ちょっとしたニュアンスやしぐさなど、彼女ならではの解釈がその身体で示されるたび、――、…ああ、彼女はこのようにこの美しい楽曲を聴いているんだな、このように聴けるなんてうらやましいな、そう思う瞬間が何度もあった。
 第18変奏、アンダンテ・カンタービレ。二人は互いの回りを舞う。――その情景がいつまでも心から離れない。今や私の心の中で、荒井祐子がくるくる、くるくると回っているのである。――永遠に!

(7月17日14時、オーチャードホール)
 「白鳥の湖」の印象深い音楽的体験はこれまで二度ある。一度は、2007年に国立モスクワ音楽劇場バレエが来日、首席指揮者フェリックス・コロボフが振った舞台を聴いたとき。途中から指揮者はほとんど踊りをぶっちぎって、自分の音楽の世界を展開していた。三幕で出てきた道化は目を四苦八苦、その音楽のスピードについて行けなくなっていた。四幕はもはや舞台上で起きている物語と音楽とがまったくかみあっていなかった。厳然たる音楽の前に、物語はほとんどメロドラマにさえ見えた。振り終わったコロボフくんは、「…俺の――『白鳥』!…」と言わんばかりに満足気に高揚していたが、バレエ団的にはあの演奏はどうだったんだろうか…。もう一度は、2005年にマシュー・ボーン版が来日してのオーチャードホールでの公演の際、東京フィルハーモニー交響楽団が演奏を務めたとき。二幕のアダージオ、ザ・スワンと王子の踊りに、コンサートマスター荒井英治のヴァイオリンが艶やかにからみつき、官能的だった。ただ、このときも、ヴァイオリンのスピードが踊りのそれを上回っているきらいがあった。二度とも、音楽が踊りに先行していたわけである。

 今年5月のKバレエカンパニー「白鳥の湖」。――私は、後にも先にも、あんな「白鳥の湖」を観たことも、聴いたこともない。遂に音楽と踊りとが溶け合い、――そして、物語の、音楽の、新たな地平が私の中で拓かれた。そのためには、荒井祐子のオデット/オディールが、熊川哲也のジークフリードが必要だった――。
 二幕、アダージオ。――官能の極み。オデットは、王子の――否、私の――腕の中で、女性の姿になり、また、白鳥の姿にもなった。白鳥なのか女性なのか、どちらともつかぬ生き物が、私の髪の中に頭を埋めていた――。その、どちらともつかぬ美しい生き物を、私はただただ撫でさすり、その感触に恍惚を覚えていた。
 三幕、舞踏会。生を謳歌する「カルメン」タイトルロールの経験が生きた黒鳥。小柄な彼女がひときわ大きく、艶やかに見える瞬間。どこか優柔不断で気弱なところもある王子を、至宝スチュアート・キャシディ扮するロットバルト共々、その気迫で圧倒する。――王子が黒鳥にひかれるのも無理はない、そう思った。それほどまでに、黒鳥は生のパワーに満ちあふれているのだ。美の前に、白黒、善悪などもはやどうでもよかった――。
 四幕、再び湖のほとり。もはや、人間と白鳥、愛が種を超えていることすらどうでもよかった。そこに愛がある以上、問題なのは、種を超えて愛し合うことを問題視する周囲の方だった。――その意味で、マシュー・ボーン版「白鳥の湖」の解釈に同意する。ただ、私は、ボーン版の振付ほど、チャイコフスキーの音楽に暴力性を聴かないけれども――。そしてクライマックス。
「私は、音楽を通じて、白鳥と一体となった――」
 「白鳥の湖」の音楽とは、チャイコフスキーのそのような宣言だったのである。だからこそ官能の極みなのである。“舞台は最高のエクスタシー”――まさに、この日劇場で感じたことであるが――に倣って言うならば、“音楽は最高のエクスタシー”。人はそれぞれ孤独な存在として生まれ、死ぬ。人が他者と一体となる上ではさまざまな手段があろうが、多くの人にとってその筆頭に上がるであろう手段はセックス、肌と肌を合わせることである。だが、芸術家とは、劇場空間においても自らと他者、あるいは他者同士、あるいはその場に集った人々すべてをも一つにしてしまうことができる存在である。それぞれの芸術の手段を用いて、心を一つにさせることで。それこそが“舞台は最高のエクスタシー”の瞬間に他ならない。「白鳥の湖」において、チャイコフスキーの芸術はさらなる段階へと達している。すなわち、人間とは異なる種、白鳥をも一体としてしまっている。まず自らが白鳥と一体となり、それを聴く人間をもまた一体としてしまう。「白鳥の湖」を聴き、観るとは、究極的には、チャイコフスキーと一体となり、その行為を通じて彼が一体となった白鳥ともまた一体となるという、至福の体験だったのである――。…芸術家とはほとんど変態と紙一重であるな、そう思った。その変態性こそがすなわち芸術性だったりするわけだが。

(5月25日15時&5月26日14時、オーチャードホール)
 
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