藤本真由オフィシャルブログ

“白”の完成〜宝塚・瀬奈じゅんを送る[宝塚]
 2009年12月27日は、宝塚を代表する白の正統派男役、瀬奈じゅんの新たな旅立ちの日である。
 さよなら色をあまり感じさせないところが逆に、瀬奈じゅんという、シャイなところもまた魅力の男役に合っていて、だからこそ、観ている方としては一層しんみりしてしまう退団公演だった。
 それにしても、退団公演において、この人の男役姿、その芸が二度とは同じ形では観られなくなってしまうのだ…ということだけではなく、物語そのもので泣くことができるというのは、何とも贅沢だなとも思ったのである。「ラスト プレイ」は作・演出の正塚晴彦にとって演劇的良心との対話を描く作品であって、瀬奈扮する主人公アリステアはほとんど正塚の分身である。同じ正塚の「マジシャンの憂鬱」で瀬奈が演じていた主人公のマジシャン、シャンドールもまた、クリエイターとしての正塚の分身であった。このとき、ほとんど宝塚のアナロジーとも思えるその“マジック”について、テーマ曲では「♪命を賭けたりしません」とさらっと歌われる。その裏に必ずやあるであろう、命を賭けるような思いをこうして隠す矜持、そしてシャイネスの通底が、瀬奈じゅんを正塚役者たらしめていたのだと思う。
 そして、「Heat on Beat!」の第14場は、瀬奈じゅんの、男役、そして、トップスターとしての到達点を表す象徴的な場面である。ここでは、ワインカラーの衣装に身を包んだ瀬奈が持ち歌「EL VIENT」を歌い、白の衣装に身を包んだ月組生がエネルギッシュな踊りを繰り広げる。瀬奈が白で、他の者が白以外の色なのではない。つまりこの場面では、月組生一同が、白の正統派男役、瀬奈じゅんの内面となって踊っているのである。白は、強い色である。“漂白”という言葉もあるくらい、ときに強すぎる。正しく色の個性が発揮されたとき、他の色を消しかねない危険がある。けれども、ここで表現される“白”は、瀬奈の内面を映して、観る者をやわらかに包む。
 白の正統派男役、瀬奈じゅんは、ここにまったき完成を遂げて、瀬奈じゅんが率いる月組も完成を遂げて、だからこそ、瀬奈じゅんは月組を、宝塚を去らねばならない。それは何も、宝塚にのみ当てはまる真理ではない。すべての“完成”は、新たな“完成”を目指す出発点に他ならない。

 しかしながら、“白”が“完成”に至るまでには“喪失”の過程もまた必要だった。相手役・彩乃かなみの退団である。
 「ミー・アンド・マイガール」の制作発表会で覚えた感覚を、私は今も忘れることができない。瀬奈と彩乃の二人が主題歌「ミー&マイガール」をデュエットする。と、それだけで、恋する二人のハッピーな気持ちが会場を包んでしまったのである。トップコンビを務める二人の間に深い信頼関係が存在すると、これほどまでに深い絆を伝え得るのか――。
 その後、レプリークで行った二人の対談においても不思議な感覚を味わった。トップスターの真摯な話しぶりににこにこ耳を傾けている相手役は、ときに慈愛に満ちた聖母のような、ときに悪戯っ子の天使のような、実に興味深い表情の七変化を見せるのである。この人はこうしてトップスターのかたわらにいるのだろうな…と思った。だから、「A-“R”ex 」は、作品としてはともかく、宛て書きとしては秀逸ではあった。
 無論、表現とは信頼関係だけで成立するものでもない。そして私は何も、二人がプライベートにおいて仲がよかったかどうかを殊更論じたいわけではない。けれども、宝塚においてトップコンビというシステムが取られている以上、その二人の間に信頼関係があって、だからこそ、深い絆を表現することができた、そのことは非常に美しいと思うのである。
 その彩乃が昨年「ミー・アンド・マイガール」で宝塚を去って、瀬奈は一人になった。公演の千秋楽近く、御邸に戻ってきた彩乃扮するサリーを迎えるシーンで、瀬奈演じるビルは盛大に笑って、けれども、心で盛大に泣いていた…。それ以来、特別イベント等で瀬奈が作品のナンバー「街灯によりかかって」を歌うたび、笑顔で歌われるナンバーを聴いて泣いてしまうというおかしい絵面に陥る私がいる。

 もっとも、相手役不在を逆手にとって卓抜な宝塚論を展開した者もいる。「夢の浮橋」の作・演出を手がけた大野拓史である。「源氏物語」の「宇治十帖」を脚色したこの作品におけるキーワードは、“形代”である。瀬奈が演じた主人公・匂宮は、一世を風靡した光源氏を思わせる存在、つまりは“形代”であって、違う女性の“形代”として薫に愛されるヒロイン、羽桜しずく扮する浮舟との間に愛を交わす。このとき、光源氏の“形代”とは、宝塚における正統派男役の象徴を意味する。宝塚の至宝、“永遠の男役”春日野八千代の最大の当たり役の一つが光源氏であることを考えてみても明らかである。浮舟を“形代”から解放し、自らは“形代”を全うすべく、すべての人の咎を背負うと宣言して宮中深く消えてゆく匂宮はすなわち、宝塚という夢の世界における、瀬奈の男役トップスターとしての一つの覚悟をはっきりと描き出そうとする、劇作家の実に鋭い造形ではあった。

 そして、「エリザベート」で演じたトート役は、観る者の心を映し出す白の正統派男役にしか可能とはならない、そして、一度はタイトルロールを自身、演じた者にしか可能とはならない造形だった――。
 瀬奈の演じるトートはほとんど、発したそのセリフの後に、「と、エリザベートがトートに言わせている」と書き加えられるような造形だった。例えば、「お前には俺が必要だよ、と、エリザベートがトートに言わせている」といった具合に。これは、トートとはエリザベートが生み出した幻想の存在に他ならないという物語の基本設定にきわめて忠実な造形である。死を司る黄泉の帝王が、タブーを超えて自分の愛を求めている、そんな、実に自己中心ともいえる幻想を抱かずにはいられないほど、現実世界のエリザベートは追いつめられ、“死”にいざなわれている。だからこそ、幻想の産物であるトートと、その幻想の造形主であるエリザベートとを一人二役で演じるかのような、そして、実際のエリザベート役の凪七瑠海と二人一役でエリザベートを演じるような、実に不思議な舞台が現出したのである。

 瀬奈さんには何度か取材する機会に恵まれたが、こちらが申し訳なく思うほどに気を遣ってくださる方で、でも、ガラス細工のように繊細なところのある人が、繊細な心を言葉にしてそっと差し出してくれるのが、何だか宝物を手渡されるようにうれしくて、その宝物をそのまま読者に手渡さなくてはと身が引き締まる思いがしたものである。
 今回の公演の初日前の囲み会見では、私から、退団色のないのが逆にしんみりしてしまう作品だけれども、舞台を務めていて内心感慨深い場面について尋ねると、大劇場の舞台をひとり裸足になって踊る場面で、床のこのキズをいつも見ていたなとか、あの作品ではこのセリを使ったなとか、そんなことを思い出して感慨深い――と、そっと語ってくれた、その表情が忘れられない。
 こんな機会だから言ってしまうが、瀬奈さんと私は同郷である。かなり前のことだが、とある本で瀬奈さんが好きな場所として挙げていた「中杉通り」は、雑誌「東京人」の杉並区特別号でも表紙を飾った、区民の誇りスポットである。いつか、故郷を盛り上げるお仕事でもご一緒できたらいいな、などと願いつつ。

 瀬奈じゅんを見る。心に映す。一面、白が広がる。その広がりに、限りなく安堵する。そんな感覚を、またいつか劇場で必ずや味わえることを願って。どうか、志高き道を――。