藤本真由オフィシャルブログ

役者・北翔海莉ここにあり![宝塚]
 「人間のこんな部分、見たくない! やめて! もう、やめて!!!」
 まるで野田秀樹作品か松尾スズキ作品を観ているときのように、心がそんな悲鳴をあげるほどの思いをしたのは、宝塚歌劇作品では初めてかもしれない。それほどまでに、宝塚版“蒲田行進曲”こと宙組公演「銀ちゃんの恋」で、大部屋役者ヤスを演じる北翔海莉の演技は、凄まじかった。スターとその子分と、自尊心をめぐるときに残酷な心理ゲームの中、狂気と自虐の限りを尽くした果てに生のきらめきの刹那を見せるヤス役の北翔は、宝塚や男役といった枠組みを超えて、役者、すなわち、己の内面をさらけ出して舞台上に生きることを選んだ人間だけがもつ、いびつだからこそ人をひきつけてやまない輝きに満ちて、作品の本質を慄然とするほどに指し示していた。
 「カサブランカ」「TRAFALGER」と、このところの北翔の舞台は決して悪かったわけではない。いずれも水準以上の好演だった。しかしながら、私は別に、“水準以上の好演”程度のものを、北翔海莉に求めているわけではない。かつて、霧矢大夢が「エリザベート」でルキーニ役を演じたとき、すべては己が見せている“劇場”として物語を自分のものにしてしまったように、敵か味方か、こうもりのように保身にさとい警視総監ルノーを演じて、北翔は、戦時下のような特殊な状況においては、多くの人はそのようにして生きるしかすべはなかった――として、「カサブランカ」を自分の物語にすることだってできた、私はそう思っていたのである。この物語にはそのように魅力的な解釈もできる、そう提示することは、何も、主役の領域をおびやかすまでのことでは決してない。北翔海莉ならそこまでできる、そう思っていたから、歯がゆかったのである。私は、「スカーレット ピンパーネル」の初演を観たときから、いつか、北翔がパーシー/グラパンを演じて、人間の内面の複雑性を示してくれることをひそかに夢見ていたくらいなのである。それが、作品こそ違え、人間の本質に迫る圧巻の演技を見せて、飲めないあひるも今夜は祝杯である!
 最後に一つだけ。男役・北翔海莉は、本質的には正統派二枚目である。巧くて、それでいてヒーローが似合う人である。このところ渋い役どころでの好演が続き過ぎていて、周りも、そして、ときに当の本人も忘れているのじゃないかと心配になったりしなくもないので、念のため。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.seesaa.jp/tb/161669259
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。