藤本真由オフィシャルブログ

心に痛いっ!〜NODA・MAP番外編「表に出ろいっ!」その1
 9月9日に、娘役=黒木華バージョンでこの作品を初めて観たとき、その結末にあまりにびっくりしてびっくりしてびっくりして(あひる、びっくりしすぎ)、思わず、作・演出・出演の野田秀樹をお悩み相談カウンセラーに見立てて、こんな心の叫びを打ち明けたくなってしまった――。

 人間存在のこと、いろいろお見通しの野田先生! あひるね、またもや“救い”という名の“盗み”に入られて、心から自分の“指環”を奪い去られそうになったばっかりなの! この一年で二人目、去年と今年、9月上旬の一日違い。「ガラスの仮面」の姫川亜弓が、北島マヤの演技を盗んで演劇界でのし上がろうとした乙部のりえを演技の力で圧倒して、亜弓さん、素敵! って思った瞬間、亜弓さんの仮面の下から乙部のりえ二号が出てきたような感じというか。それはもう、「ガラスの仮面」というよりむしろ、美内すずえが昔よく書いてた世にも恐ろしいホラー漫画だろうと思う……って、あひる、自分はつくづく「サザエさん」と「ガラスの仮面」が本当に好きなんだなあって、自分で自分に苦笑しそうになるけど。それに、乙部のりえみたいに観客と舞台を裏切った者が観客と舞台に裏切られるように、心を裏切った乙部のりえ二号も心に裏切られるんじゃないの? って言いたくもなるんだけど、それはまあおいておいて。「2009年あひる心のベストテン」の他ならぬ野田作品「ザ・ダイバー 日本バージョン」の項で、

だから私は、もはや何者をも待たない。男も、他者も、救済も。ときに、ひりひりするほどに、自分の志す道を一緒に歩いてくれる存在を求めてやまない孤独の渇望を覚えるけれども、――けれども、己の孤独とはそうそう容易に手が切れるものではないこともまた、今年改めて打ちのめされた真理ではある(苦笑)。己の道を歩くのは己のみであって、その道がたまさか他者と重なる瞬間を束の間の至福とこそ感謝するべきなのだろう。

 ……なんて書いてた割に、またもや“救い”を求めていたのか!!! と突っ込まれたらもう、ごもっとも、返す言葉もありません、状態なのですが……、何か、どんなに「求めてない!!!」ってしていても、“救い”がやって来てしまったら、それはそれでやっぱり、ものすごくうれしかったりするので……。もう、独りで生きていくしかない……と思っていたところに、誰かがやって来て手を取ってくれたら、そのあたたかさにやっぱり心がほぐれて、自分がそんなにも他者を渇望していたんだ……っていうことがわかってしまうし。それで、相手の心を、自分の乾いていた心がぐいぐい飲み干して、潤ってゆくのがわかるというか。
 だから、「表に出ろいっ!」のおとうちゃまこと宗家が、自分の家から出るに出られず、喉の渇きをいやすものも何もない状態で夢想する、……出産したばかりの犬のお乳を飲んで渇きをいやそう、いや、子犬で飢えを満たすのがいいかな……と、実行はせずともあれやこれや思うことに、あひるは共感してしまう。人はときに、何にすがってでも救われなきゃいけないときがあるし、生き延びるためにはそれもありだと思うから。相手がたとえ“盗人”であったとしても。

 ええっと、作品をご覧になった方にはおわかりかと思いますが、「表に出ろいっ!」は、中村勘三郎と野田秀樹、日本演劇界をリードする存在と言って過言ではない二人が、娘役に扮する黒木華&太田緑ロランスの二人と共に、身体&感情表現のすべてを尽くして、ハイパーテンションで超絶ギャグを繰り出す果てに、現代日本の問題が確かに浮かび上がってくるというとんでもない作品なわけで、あのとき目の当たりにしたパフォーマンスを思い出すだに、あひるも、自分の何やかやをハイパーテンションでさらけ出さずには、作品について書いたことにはならない、と思った次第。
 それにしても、心に痛いっ! 作品ではある。何度か、息がとまりそうだった。父と、母と、その娘と。飼っている犬が今にも出産しそうな夜、それぞれに出かけて帰依するものを享受したい切実な理由がある三人は、互いを出し抜いて何とか出かけようとするも、結局は、太い鎖で犬共々つながれ、飲み水すらない状態で、誰かがやって来るのをひたすら待つ羽目になってしまう。父はアミューズメントパーク、母はアイドル、そして娘はキャラクターグッズ&ファストフードにハマっていると思いきや、娘は実は、書道教室転じてとある新興宗教に帰依していることが途中でわかる(ところが、野田の前作「ザ・キャラクター」につながっている)。今夜9時、世界は滅びる、そう信じる娘は、教祖のくれた“人魚の粉”(!)を飲んで倒れる。娘の命が失われてゆく、そう、父母が感じる瞬間、美術に衣装、ポップな色彩にあふれていた空間が、照明によってまったくのモノクロに見えて、戦慄する。絶望した瞬間、世界は確かに色を失くすから。
 世界が滅びるのは嘘で、“人魚の粉”を飲んでも死んで生まれ変わることはなくて、信仰が裏切られたその思いを、娘は、“恋が終わったときに似ている”と描写する。またまた、心に痛いっ! 瞬間ではある。私だったら、“恋が終わったときと同じ”と描写することだろう。甘美なる喜びを与えていた美しいものが、汚れ、穢れて、苦しみや痛みしか与えなくなったときの、口に苦い瞬間を、私ははっきり知っている。
 結局は自分で自分を救うしかなくて、けれども、自分ですら自分を救えないときさえあって、そして、“救い”は“盗み”という意外な形で三人のもとに訪れる。固く閉ざされていると思っていた扉が盗人によって開けられたのだとしても、そこから差し込む一条の光を、美しい……と思うべきなのかどうか。やっぱり、心に痛いっ(涙)。