藤本真由オフィシャルブログ

祝シーズン開幕! 新国立劇場オペラ「アラベッラ」が凄い![オペラ]
 新国立劇場オペラの2010/2011シーズン、リヒャルト・シュトラウスの「アラベッラ」ニュー・プロダクションで華麗に開幕しましたが、これがすばらしい! あひるは昨日14日18時の部を聴いてきたのですが、第三幕なんて、泣きすぎて、困った(笑)。帰り道、呆然としてふらふら歩いていたら、「……久々にぞくぞくしたよ!!!」と、興奮さめやらぬといった感じで電話している方がいて、同感です!!! と思わず声をかけたかったくらい(笑)。残りはあと17日14時の部しかありませんが、めちゃめちゃお勧めですぞ〜。あひるももう一回聴きに行っちゃおうかな、と考え中。
 それにしても、久々に足を運んだ新国立劇場オペラパレス、華やかでやっぱりいいなあと……。目にも彩りあざやか、おいしそうなオードブルやケーキが並び、その隣に音符などをモチーフにしたかわいいグッズのショップがあるホワイエをそぞろ歩いていて、心から実感。ちなみにあひるのお勧めは、小さなシュークリームにチョコレートソースをかけていただくプロフィットロール! 500円で4、5個乗っていて、よく二人で分けて食べていらっしゃる方を見かけるのですが、ハーフポーションもあったらなあ……なんて。シーズン開幕、まずは食いしん坊話でスタートしてすみませぬ。

 「アラベッラ」は、「ばらの騎士」をはじめとする綺羅星の如きオペラの数々を生んできた名コンビ、作曲家リヒャルト・シュトラウスと劇作家フーゴ・フォン・ホフマンスタールの最後のコラボレーション作として知られる作品。“最後”というのは、第一幕の最終稿完成の数日後に、ホフマンスタールがこの世を去ってしまったから。シュトラウスは独りで第二幕、第三幕の改訂を行い、作品を仕上げたことになる。
 アラベッラは財政状況の芳しくない貴族の姉娘。娘二人を社交界にデビューさせるお金はないため、妹娘のズデンカは男装し、世間的にはズデンコという男の子になっている。士官マッテオはアラベッラに絶望的に夢中だけれども、アラベッラの方ではマッテオにその気はなく、マッテオをひそかに愛するズデンカは、やけを起こしたマッテオがもう死ぬだのなんだの言うのが心配で仕方がない。それぞれに異なる個性きらめくこの姉と妹が、互いへの限りない優しい愛をこめて歌う第一幕の二重唱に、まずは陶然! ほとんど、「細雪」の世界。大阪船場の旧家の四姉妹が主人公の「細雪」は、作者・谷崎潤一郎が、この娘も美しいな、この娘もこんなところがかわいいな、そんな姉妹がお互いを思いやったりケンカしたりしている様の何と心楽しませることよ……と、清らかな気持ちで愛でたり、ちょっと欲望を感じたりしつつのなにげない描写が何とも優れた作品だけれども、ここでのシュトラウスも、姉娘もいいな、妹娘もいいなと目移りしつつ、でも、そんな姉妹が一緒にいて愛を寄せ合っている様が一番すばらしいなと、二人を、心酔わずにはいられない美しい旋律で包み込んでゆく。
 第二幕で、アラベッラは待ち焦がれていた運命の人、スラヴォニア(クロアチア、当時はハンガリー王国領)の大農園主、マンドリカに出会う。このマンドリカを歌ったバリトン、トーマス・ヨハネス・マイナーがかなりの“想念使い”で、アラベッラにスラヴォニアでの未来の愛の生活を歌いかけるとき、ドナウ川が見えて……。
 物語が急展開する第三幕。マッテオの自殺を食い止めるため、ズデンカは姉のふりをしてマッテオと愛を交わしてしまう。喜びにひたるもつかのま、マッテオは帰ってきたばかりのアラベッラと出くわして驚き、二人の仲を疑うマンドリカも帰ってきて、姉妹が両親と共に逗留中のホテルのロビーは大騒ぎ。アラベッラを深く愛するがゆえにマンドリカは嫉妬に狂い、マッテオは状況がさっぱり飲み込めず、そこへ、女の姿をしたズデンカが駆け下りてきて、人々は事の真相を知ることとなる。愛の床での身代わりまでして愛するマッテオの命を救おうとし、そして、純潔を失ったことを世間に知られることすらかまわず、姉の名誉を救おうとやってくる、ズボンからネグリジェに姿を変えたズデンカの痛々しさが、もう、哀れでせつなくて、あんたのせいでお姉ちゃん、貞節疑われちゃって、この事態、どうするのよ!!! と、それまでかなり本気で憤慨していたにもかかわらず(苦笑)、あひる、滂沱の涙。
 マンドリカにマッテオにズデンカ、それぞれに想いを抱えて苦しみもがく人々の歌声に耳を傾けていたら……、何だか、リヒャルト・シュトラウスの声が聴こえてきたような気がした。「愛しただの愛してないだの、裏切られただの裏切っただの、人間存在って、こんなにも愚かで、滑稽で、でも、だからこそ、いとおしむべきところ、美しいところも多い存在だとは思わないかい?」と、作曲家が片目をつぶって、茶目っ気たっぷりにかすかな微笑を浮かべているようだった……。
 そして、心から愛するマンドリカにどんなに疑われても毅然とした態度を崩さず、ズデンカのせいで自分の名誉まで失われそうになったにもかかわらず、愛と情熱をまっすぐに注ぐその妹の美点を認め、傷ついた彼女をあたたかく包み込む、第三幕のアラベッラを凛とした美しさで歌いきったミヒャエラ・カウネがもう、神々しかった……。アラベッラはマンドリカを最終的には深い愛で赦すのだけれども、このあたりに来るともう、作曲家の悔恨の悲痛な声が聴こえてくる……。「生きているうちに、ホフマンスタールに赦してもらいたいことがあった。でも、でも、彼は死んでしまった……!」と……。
 公演プログラムの「理解と相克――ホフマンスタールとの往復書簡から――」と題した中島悠爾氏の文章の中では、作曲家と劇作家が長年にわたる共同作業の間に交わした手紙が紹介されている。「ナクソス島のアリアドネ」について、作曲家が、劇作家に「私の第一印象は失望だったのです」と書き送るなど、二人の関係はときには相当に緊張したものでもあったことがうかがえる。二人の芸術家が、それぞれの信じる美をめぐって闘いを繰り広げるわけだから、当然である。けれども、そんな相克をも乗り越えて、二人は29年もの間、共に美の世界で共闘してきた。それがある日突然、途絶えてしまった。ホフマンスタールの死によって。残されたシュトラウスは独り、台本を改訂し、音を紡ぐ。その過程で、彼は何度も思ったことだろう。ホフマンスタールならどんな意見を言っただろう……と。死者の魂と会話するかのように作曲し、そのためにも、死者をより深く理解しなくてはならないと祈る。そして、悔恨の念が浮かんでくる。生きているうちにもっともっと話せばよかった、あんなことを言って傷つけなければよかった、相手はそのことをはたして赦してくれているのだろうか、と。そのことについて和解、仲直りはもうとっくになされているはずなのに、でも、後悔ばかりが心を突く――。
 「気高いものを敬う時に初めて私は生きがいを感じるのです」と語るマンドリカと、「真実は私の中にあって、それ以外のすべては敵なのです」と語るアラベッラは多分に芸術的な人間である。だからこそ、二人はあんなにも瞬間的に互いにひかれあったのだ。シュトラウスとホフマンスタール。芸術家の魂同士の邂逅。相克。やがてくる別れと、永遠の結びつき。まるで火花のような魂のぶつかりあいを描く「アラベッラ」。よく似た作品が日本にもあることを私は知っている。蜷川幸雄と清水邦夫、日本演劇史上に残る二人の演劇人の相克と和解が書き記された、清水邦夫の傑作「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」である。
 今回の衣裳の担当は森英恵。第一幕の登場シーンでアラベッラが着ている、フードに毛皮の縁取りがついた紫のコートと、第二幕、舞踏会に行く際にドレスの上に羽織っている、やはり毛皮の縁取りのついた純白のマントが、ほしいくらいに素敵! そのマントが、第三幕では、ネグリジェ姿で心ふるわすズデンカをアラベッラが優しさと共に包み込む際に使われるのが効いている。
 モダニズム建築の曲線美が官能的な装置の中、白と青のスタイリッシュな舞台世界を展開したのはフィリップ・アルロー(演出・美術・照明)。コスチューム等もほとんど寒色系で統一され、たまに登場する赤がアクセントとなっている。

 さて、11月のオペラパレスには、そのアルローが手がけたウンベルト・ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」が登場! これは、フランス革命好きなら必ずや観なくてはなるまい作品。実際に断頭台の露と消えた実在の詩人アンドレ・シェニエを主人公に、彼の恋人である伯爵令嬢マッダレーナと、彼女に横恋慕する政府高官ジェラールの人間模様が、恐怖政治の時代に展開。このジェラールには、革命への苦い挫折感を歌い上げるアリアがあって、「スカーレット ピンパーネル」のショーヴランの先行キャラクターであることは明白。2005年の初演の際、あひるは、「まるで『ベルサイユのばら』みたいなオペラ!」とうっとりしたものですが、今度は、「スカーレット ピンパーネル」との比較もあれこれ楽しめるな、なんて。初演の際の感想はこちらを(http://daisy.eplus2.jp/article/41255686.html)。アルローの技が冴え渡る舞台をぜひお楽しみあれ!

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.seesaa.jp/tb/165844519
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。