藤本真由オフィシャルブログ

宝塚月組公演「ルパン−ARSÈNE LUPIN−」「Fantastic Energy!」[宝塚]
 7月22日に「宝塚歌劇100周年公演演目及び記念事業等概要発表会」に赴いた際、宝塚大劇場にて観劇した月組公演について、少々遅ればせながら。
 先にレビュー「Fantastic Energy!」の話から。作・演出の中村一徳は、一徳節ともいえる作風をもちながら、組及び出演者の個性をきちんと生かそうとする手堅い手腕の持ち主で、安定感、安心感と、確かな新風との共存がそこにはある。今回の作品でいうと、月組のダンサー娘役陣をいきいきと踊らせているのが非常に印象的。なかでも、トップ娘役愛希れいかが著しい伸びを見せて、踊りで客を呼べるショースターに成長した。娘役芸をきちんと身につけたからこそ、“男前”な前トップ娘役、蒼乃夕妃に薫陶を受けた経験が生きるようになったのである。新副組長憧花ゆりのも娘役を率いて獅子奮迅の大活躍。月組娘役陣、実にパワフルである。男役陣も負けじと奮闘されたし。残暑の季節にふさわしい、まだまだ夏は終わっちゃいないぜ! な熱いレビューなのだから、もっともっと客席に向かい、巻き込む熱が欲しい。キーパーソンは、沙央くらま。雪組中日公演「Shining Rhythm!」の経験を大いに生かすべし。“心の名場面”は後日発表〜。

 「ルパン−ARSÈNE LUPIN−」の作・演出は正塚晴彦。アルセーヌ・ルパン・シリーズの作者、モーリス・ルブランの没後70年経った2012年に発表された「ルパン、最後の恋」が原作である。
 子供のころからルパン・シリーズが大好きだった。中学生のときに図書館にあった全集を読破し、大学は仏文科に進んでルパンを研究しようかなあ…と母に話したところ、母も子供時代にまったく同じことを考えていたという。それくらい、アルセーヌ・ルパンは憧れの人だった。そして、ルパンはきっと、宝塚の男役が演じたら似合うだろうなと思っていた。神出鬼没の変装の名人。美学ある華麗な盗みのテクニック。「スカーレット ピンパーネル」の主人公パーシー・ブレイクニーの“弟”的存在である。
 正塚晴彦は宝塚の舞台において、現実にはありえないようなかっこいい男たちを描いてきた。王子や貴公子ではない。現実にいそうで、それでいて、やはりかっこよすぎて、いないであろう男たち。それもまた、人が宝塚歌劇に抱くロマンの一つである。その正塚は、「ルパン−ARSÈNE LUPIN−」において、現実にはありえないようなかっこいい女に目を向ける。あふれん才能と財力を世のため人のために使い、見返りを求めず、“美しさ”がなければ共に闘うことはできないと敢然と告げる。男性性と女性性とが融合した、一種超越した存在たるその“アルセーヌ・ルパン”を、女性である宝塚の男役が演じる。最強である。ここに正塚晴彦は、創り手として新たな一歩を踏み出した。
 ルパンに扮する月組トップスター龍真咲は、「ベルサイユのばら」の“オスカル・ショック”後、男役として復調傾向にあるのが大変喜ばしいが、彼女が真骨頂を発揮するのは、“愛の伝道師”たりえているときである。龍がロミオを演じた「ロミオとジュリエット」でも、もっとも感動したのは、バルコニーのシーンでも後朝のひばりのシーンでも悲劇のラストシーンでもなくて、ロミオとジュリエットの結婚を知って怒りで煮えくり返っている街中の人々を説き伏せるように歌う「街に噂が」の場面である。ロミオの歌うパートが主旋律ではなくベースとなっているこの曲は、それだけロミオの深い信念を感じさせて印象的なのだが、龍ロミオの“愛の伝道師”ぶりはあっぱれだった。愛っていいもんだよ! 君たちも手に入れるべきだよ! あっけらかんの突き抜け感。親友のベンヴォーリオもマーキューシオも、結婚なんて重大なこと、俺たちに言わないなんてみずくさい! と憤慨しているのに、こんな説教をされては憤懣やるかたなしというものであろう。そんなにも愛のすばらしさを説くなら、マントヴァに追放されても伝道を続ければいいのに…と思わずにはいられないが、彼の愛の源泉であるジュリエットと引き離されてしまっているため、そこまでのパワーはなくなっているのであった。
 龍は二番手時代、自分がトップになった暁に実現したい夢の宝塚についてよく歌っていた。人誰しも愛と優しさにあふれた世界。私はその夢を信じた。実現は難しいかもしれない。けれども、夢を信じ、その夢を実現しようとする者なかりせば、この世界はどんなにか苦悩多き場所であろうか。龍真咲は一つの組のトップスターになったのである。夢を実現するにあたって、力を存分に発揮できるポジションについたのである。夢を見るばかりではなく、夢を実現していかれんことを心から希望する。参考にできる人物として、ロミオ役の大先輩である熊川哲也を挙げたい。彼のことを”dreamer”ととらえる人は多くはないかもしれない。けれども、彼は私の知り得る中でもっとも大きく豊かな夢を描く同世代人の一人であり、己に与えられた英知を最大限に生かして、プラクティカルに着実に夢を現実のものとしていっている。自らのバレエ団をもち、自らの信じる美しいバレエを、日本の、世界の観客に見せたいという夢に向かって、邁進し続けている。宝塚歌劇でたとえるならば、創始者・小林一三が芸術家として自らトップスターを張っているようなものである。夢見るばかりが”dreamer”ではない。夢かなえる人が真の”dreamer”である。
愛されていると過剰に思うことも、愛されていないと過剰に思うことも、どちらも等しく傲慢である。人はみな愛されている。そして、自分が愛されているかどうか問う前に、自分から愛するべきである。そうすれば愛が自ずと心を満たすのである。宝塚の男役として生きる人生のいかなる点に喜びを見出すか、それは人それぞれであり、無論私の考えるべきところではない。龍真咲自身が真にその喜びを見つけ、“愛の伝道師”として真骨頂を発揮する日を期待してやまない。技術的な面について言えば、たまにセリフ回しが不思議な抑揚で歌うように高く泳ぐクセを修正すれば、芝居はより伝わりやすくなると思う。愛希も芝居に熱中するあまり、たまに訛りが出てしまう点を修正されたし。星条海斗は「ベルサイユのばら」に壮一帆がアンドレ役で特別出演した際、アラン役としてセリフを交わした場面がこれまでの舞台でもっともよかったが、あのとき壮と交わしたような芝居が今できているか、再考すべきである。北翔海莉の役作りについては、作者モーリス・ルブランはアルセーヌ・ルパンの“分身”であり、二人とも等しく正塚晴彦の“分身”であることを指摘しておきたい。
 期待の東京宝塚劇場公演は8月30日から!


 
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。