藤本真由オフィシャルブログ

人づきあい、その不条理〜「burst!〜危険なふたり」
 私の目に映る三谷幸喜作・演出「burst!〜危険なふたり」は、人づきあいのある種の不条理を描いた作品である。とある人物のところに、…あなたの家に爆弾が仕掛けられました…と、爆発物処理の専門家から電話がかかってくる。専門家が駆けつけるのでは間に合わない。仕掛けられた人物は、電話のアドバイスを頼りに、何とか爆発しないよう爆弾を処理しなくてはならない。電話を通じての言葉だけでつながった二人のやりとりはときに大いに食い違う。その妙。
 私にも文章だけでつながっている人物というのがいるのだが、「burst!〜危険なふたり」の舞台を観ている観客のように見守ることのできる誰かがこの世にいたならば、私たち二人のそのやりとりもさぞや珍妙なものに映っていることであろう。例えば何かの舞台について記すとき、私は、そう思うに至った前提というのを説明した方がわかりやすいかなと思ってあれこれつけ加えるのだが、その相手からすれば、どうも無駄な情報が多すぎるようなのである。それゆえ、私という人物がかえってますますわからなくなってくるというのが相手の言い分らしい。いろいろな情報があって、そのすべてが詰まっているのが私なんだけど…と自分としては思う。それでは、自分をものすごくシンプルに分解してみるとすると、…親しくなればなるほど、「…本当におもしろい舞台を観ることしか考えてないんですね…」とあきれられることが多い。この情報もまた無駄だと思われるだろうか。
 そうやって考えていくと、人づきあいとは面倒なものである。いっそ何も情報を出さない方が、何も書かない方がいいだろうかと思えて、自分の殻に閉じこもりたくなるときもある。相手に対して爆発したくなるときもあるかもしれない。
 ところで相手はどう思っているか。これは非常に重要である。そして、この作品の後半における仕掛けの意味もそこにある。この二人芝居で、最初のうち、草g剛が爆弾を仕掛けられた人を、香取慎吾が爆発物処理専門家を演じている。そして途中で二人は攻守交代、互いに役を取り換えるのである。この仕掛けは秀逸である。…伝えてくることがちっとも要領を得ないと、実は相手も思っているんじゃないか…。例えば、「白鳥の湖」において王子が経験する白鳥/黒鳥の取り違え、愛する相手に対する葛藤というのは、愛し合う二人、その心の中で互いに進行し得ると私は思うものである。三谷はここに、そのように相対する二人の心情を見事に可視化してみせる。
 だから、「burst!〜危険なふたり」なのである。ふたりは危険なのである。”burst=爆発”してしまったらそこで関係はおしまいである。おしまいにするにはもったいない、貴重で大切な関係だと思って、私としては今後も続けていきたいものだけれども、相手の言い分や如何。
 途中、爆弾が爆発したらどうしよう! と思って、「…近い近い近い爆弾に近い早く遠ざかって〜」と客席で身をよじりながら観ていた。そして、草g剛が優れた役者であることは前々から知っていたつもりだったけれども、香取慎吾共々、本当にいい役者なんだな…と改めて思った。そして公演プログラムを読んだら、見事に三谷幸喜の思う壺だった。
 ↓何だかこの作品っぽいなあと思うサングラス(観劇前日購入)
201512291729000.jpg

(5月2日16時の部、パルコ劇場)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.seesaa.jp/tb/431853256
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。