藤本真由オフィシャルブログ

幸せな現実〜宝塚・妃海風退団[宝塚]
 北翔海莉が専科に行き、トップスター就任が絶望視されていた頃、自分がパラレル・ワールドで彼女がトップになったということにしていた話は以前記した。実際に北翔がトップスターになって、……そんなパラレル・ワールドより、何倍も、何十倍も幸せだった。楽しかった。それにはまず何より、娘役トップ妃海風の存在が大きい。パラレル・ワールドには、相手役の想像はなかった。それも、北翔を人間として、舞台人として厚く慕い、退団の日までしっかりついていこうという気概と、そして、人としてこの上ないかわいらしさを兼ね備えた相手役の――。退団公演の初日前囲み会見でも、相手役を慕うコメントに、何だか思わずふふっと笑みがあふれてしまったくらいである。決して演技ではない、その性格の素のかわいらしさ。その上に娘役としての技巧が乗る。だからこそ、ロマンチック・レビュー「ロマンス!!(Romance)」の冒頭の、言う人によっては気恥ずかしく聞こえるかもしれない「ロマンス!」というセリフがあんなにも輝いて決まるのである。それは宝塚の娘役としての勲章である。
 大劇場前作公演のショー「THE ENTERTAINER!」のスパニッシュの場面で、妃海は北翔と踊っていた。彼女は決して大柄な方ではないから、スパニッシュの長く裾の広がった衣裳はさばく上でハンディがありそうなのだが、……手をぱっと離す、またぱっとつかむ、その動作を何度繰り返しても、裾が常に美しく見える。その様に見惚れた。その仕草を獲得するまでに、どれだけの鍛錬を重ねたのだろう……と思った。宝塚が好きで、娘役が好きで、そうして宝塚に入ったからこそ、己の道を深く探求する。宝塚が好きで、娘役が好きで、けれども宝塚には入らない、入れない人々にとって、娘役は永遠の憧れである。その憧れを背負って、道を究める。あっぱれだと思った。とある映画で、舞踏会で踊るヒロインのドレスの裾さばきがCG加工されていて、唖然としたことがある。……私はいつも、生身の人間が細心の注意をもってさばいている様を、宝塚の舞台で観ているからなあ……と。そして私は、生身の人間がそうして完璧を目指す姿にこそ、美を見出す。併演の「こうもり」のアデーレ役でも、難しい裾のドレスをさばく姿に卓越したものがあった。
 今年一月の「LOVE & DREAM」でも、妃海の娘役としての技量が光った。ディズニー・ナンバーを歌い継ぐ第一部で、妃海は「Let It Go〜ありのままで〜」を歌ったが、あくまで娘役性は失うことなく、作品の強いメッセージを伝えていた。いつぞやの紅白歌合戦でイディーナ・メンゼルが歌うのを初めて聞いて、……日本語で聞いていたのとは何だか違って、決して甘くない、「嫌われたって構わない!」くらいのある意味フェミニズム的強さがこめられた歌なんだなとびっくりした。それをそのままそのように歌っては、今度は娘役歌唱にはならない。宝塚にはならない。娘役だって違う意味で強いのである。その強さをこめればいい。男役があくまで中心の宝塚に対し、ディズニーの世界はプリンセス、ヒロインが中心であることが多いというのが、このディズニーとのコラボレーション作で改めて気づかされたことだったが、この作品において、凛として、かつ、かわいらしく、妃海が娘役トップとして果たした役割は大きい。
 退団公演「桜華に舞え」で彼女が演じたのは、会津藩の武家娘、大谷吹優役。北翔演じる薩摩藩の桐野利秋は、戊辰戦争で吹優の父を殺め、その後に彼女の命を救っており、そのことを彼女に言えないまま、二人は互いに淡い恋心を抱いている。実は私の母方の祖父は会津の出身で、そして私の父は山口県すなわち旧長州藩の出身で、今から半世紀ほど前の私の両親の結婚式では、かつて敵同士だった両家は今や手を取り合い云々といったスピーチがあったそうな。大河ドラマ「八重の桜」でもこのあたりの話が扱われていて、その途中まで私の父は生きていて、父と母がドラマを観ながらケンカでもしてはいけないと、私は二人の仲裁役になるべく、しばしば大河ドラマ放送時間に夕ご飯を食べに実家に足を運んでいた。そして物語上、会津と長州が何だかきなくさくなってくると、父が決まって「あれは薩摩が悪い」と言っていたことを思い出す。そんな個人的事情のもと、「桜華に舞え」を観ていて、きりりとした妃海の吹優を観ていて、私は、自分の中にも確かに流れる会津の血を思った。自分の父の命を奪った相手を、そうとは知らず恋してしまうというのは、大好きで何度も何度も読んで涙した大和和紀の漫画「菩提樹」を思い出すな……とも。自分の学んだ医学を活かしたいと、桐野も従軍する西南戦争で看護にあたるりりしい吹優。桐野には妻がいて、結局吹優とは結ばれぬままで、最後に吹優は桐野の遺品をその妻に届けて――。けなげさに、ほろっとする。
 岡田敬二作・演出のロマンチック・レビュー「ロマンス!!(Romance)」で私が一番好きなのは、謝珠栄が振付を手がけた「第6章 友情」の場面。同じ演出家と振付家のコンビがかつて生み出した名場面、宙組公演「シトラスの風」の「明日へのエナジー」をも彷彿とさせるシーンである。そして私がもう一つ思い出したのは、やはりこの演出家&振付家のコンビが、元星組トップスター湖月わたるの退団公演で餞に送った「惜別――オマージュ――」の場面。湖月の両手を支えに、次期トップスター安蘭けいが宙に舞う姿が今でも胸の奥に焼き付いている。「第6章 友情」では、LEDの照明も美しく幻想的で、そんな中、北翔と星組の仲間たちがエネルギッシュなダンスを繰り広げるのだが、このとき、長い髪の毛を振り乱しながら、パンツルックで、妃海が北翔と共に踊る、そのシーンに、何だか二人のコンビ像が集約されているように思えた――。この人はこんな真剣なまなざしで、相手役の向かう方向についていこうとずっと一緒に走ってきたのだ、そう思った。そんな場面を共に創り出せたことは、トップコンビとしての二人に輝く勲章である。
 妃海風の舞台をもっと観ていたかった。もちろん、その思いは今も胸にある。けれども、彼女からあの天性のかわいらしさを存分に引き出したのが北翔海莉であるのなら、早い退団も仕方がない。それにしても。想像より現実が何倍も、何十倍も素晴らしく素敵だなんて、なんて幸せなことだろう。そんな幸せな現実を本当にありがとう! 宝塚以外でも熱中できる何かが舞台芸術界で見つかることを、心待ちにしています。