「ビニールの城」
 公演プログラムに書かれている。劇団第七病棟による「ビニールの城」初演(1985)は、「FOCUS」による「批評家の選ぶ80年代演劇」のベストワンに輝いた作品であると。他ならぬ、私が育った雑誌である。新米記者時代、少しでも文章がうまくなりたくて、雑誌のバックナンバーから演劇関連の記事を手当たり次第に読んでいた。そのとき、当該記事にももちろん接した。
「…廃墟になった映画館での公演か…」
 観たくてたまらなくなった。時を遡ることは無理ではあるのを承知の上で。近代建築が好きで、廃墟も好きなので、その意味でも、自分がその劇空間に身を置けなかったことが残念でならなかった――作品が上演された浅草・常盤座は、藤森照信らが結成した「東京建築探偵団」が刊行した「建築探偵術入門」にも出てくる名物件なのだが、私が近代建築めぐりを始めた頃には既に取り壊されてこの世になかった――。そして、幼き日の記憶を思い起こさせる内容でもあった。「ビニールの城」の「ビニール」は、ビニールで包装された成人向け雑誌「ビニ本」から来ている。私は子供の頃から本が好きだったので、近所にあったビニ本の自動販売機が気になって、あの機械で売っているのはいったいどんな本なのか、尋ねて母親を困らせたことがある。もう一つ思い出。祖母が住んでいた中野から、私の住んでいる高円寺まで車で帰るとき、中野駅を少し南下したところにある五叉路を通るのだけれども、その一つの角に、中野ひかり座というポルノ映画館があった。そこを通るたび、…ここの看板は子供はあんまり見ちゃいけないんだろうな…ということだけはわかっていて、ちょっと緊張した。その後、ひかり座は映画館としては常盤座同様廃館になり、ときどき演劇の公演が行われた。何しろ廃墟となった映画館で「ビニールの城」を観るという経験がしたかった私は、子供の頃の緊張もどこか背負いながらひかり座に何度か足を運び、ストッキング越しにネズミに脚を甘噛みされたこともある。第七病棟が水天宮のやはり廃墟となった倉庫で「雨の塔」の公演を行った際にももちろん観に行った。…でも、これは「ビニールの城」じゃないんだよな…という思いがいつも残った。我々は過去には遡れない。観られなかった公演はどこかほとんど幻である。心の中にいつも、…「ビニールの城」が観たかった…という思いを抱えていた。
 それが。2016年8月に上演されるという。しかも、蜷川幸雄の演出で。最初はどこか信じられなかった。あれだけ欲してやまなかった舞台が遂に観られる。幻が現実になる。嘘じゃないかしら、と思った。
 ――5月12日に演出家蜷川幸雄が亡くなったとき、最初に思ったのは、「もっと演出舞台を観たかった!」ということだった。次に、「あ、『ビニールの城』!!!」と思った。大変不謹慎ながら、…お棺を開けて、芸術家の身体を激しく揺さぶったら、いったいどんな舞台を観客に見せたかったのか、どうにかわかるかしら…とまで思った。現実になると思った幻が、再び幻として消えていってしまうような儚さ…。
 しかし、関係者の尽力により、公演は行われることとなった。演出に、出演者の一人である金守珍を迎えて。観られるんだ、観られるんだ…、そんな思いがぐるぐる胸に渦巻いた。そして初日の客席に着いた(8月6日19時、シアターコクーン)。
 蜷川幸雄が見せたかった舞台とは違うと思う。そして、同じである必要などどこにもない。けれどもそれは、出演者、スタッフ、一人一人が、天国の蜷川幸雄に届けとばかり、それぞれの魂を燃やして、それぞれの限界に挑んで、それぞれの心の中にいる蜷川幸雄と対話して創り上げた、壮絶な舞台なのだった。森田剛。蜷川作品にたびたび出演してきた役者であるが、今回、今まで見せてきた以上の舞台を見せた。――いったいここに立っているこの人は、森田剛なのか、それとも彼が演じている朝顔なのか、もはやそれがわからなくなるほど、自意識も何もすべてがなくなって無になって、そんな彼の無に向かってこちらまで引きずりこまれていくような、そんな瞬間があった。宮沢りえ。私は昔、彼女が主演した「東京エレベーターガール」というドラマが好きで観ていて、…でも、あまりに綺麗すぎて、普通にいる女性を演じるのは無理かも!…と思ったことがある。その思いはどこかずっと私の胸の中にあって、けれどもこの夜、遂に私の中の虚像と実存とが結びついたのだった――。自分が登場するビニ本を所持しながらも、生身の人間としての自分とは決して向き合おうとしない朝顔に、宮沢演じるモモは空気銃を向ける。嫌いです、とつぶやきながら。そのとき、私もある人に対して怒っていた――怒っていることに、その瞬間、気づいた。――自分は菩薩じゃない! 血も流せば弱気にもなる普通の人間だ。そういう人間が書いている文章がもしも好きだというのなら、書いている人間そのものにも向き合え! 元気いっぱいで芸のことばかり考えているときしか好きじゃないと言うなら、ありえない! と――まあ最近、自分は、身体がちょっと元気じゃなくても心さえ元気なら平気で芸に向き合っていられるなとも思ったのではあるが――。自分でも二ヵ月くらい、自分の胸の中のもやもやの正体がわからなくて悩んでいたので、ものすごくすっきりした…。
 蜷川幸雄が見せたかった「ビニールの城」は幻になった。でも、私はこの「ビニールの城」を通じて、いくつもの幻と実存の重なりを見た。「ビニールの城」。それにしても、私の人生にとって、どこか不思議なめぐり合わせの作品である。

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