「真田丸」
 「真由」と「真田」って字面が似てるよな…と、小学生のときから、同級生の真田くんを見るたび思っていたあひる。それはさておき。
 三谷幸喜が2016年の大河ドラマを書くということで、非常に興味は持っていたものの、観始める前から今年は絶対全部観ようと決意していたわけではない。劇場通いに忙しいと、テレビを観る時間がない。録画機能はしょっちゅう壊れたまま放置されている。大体が、夫が大学に合格した春に東大駒場生協で買ったテレビを四半世紀以上使っている。綺麗に映るが、いまだブラウン管。大学生の頃はよくドラマを観ていた記憶があるけれども、テレビライフをエンジョイしなくなって久しい。そもそもあひるはせっかちで、早く話の続きが知りたいので、週刊連載の漫画等も読まないというか読めない。子供の頃から続きが早く読みたくてじれていた。続き物とは相性がいまいちなのである。それが。第一回目「船出」で、真田信繁=幸村(堺雅人)の父を演じる草刈正雄を観ていて、…作家が乗りに乗って書いた台詞を、役者が乗りに乗って発している、そんな非常にいい流れを感じて、観続けることに決めた。真田丸と共に、真由丸も一年間の大河ドラマ視聴の航海へと船出した気分。…途中、二度ほど挫折しかかった。長澤まさみ扮するきりのセリフが心なさすぎやしないか…と、聞いていて何だか傷つくことすらあったので。そういうときは、ネットでもやはり同様の意見が見られたので、気を取り直して再び視聴。環境もよかった。日本史にほとんど興味がなく、だからこそ今まで大河ドラマをあまり観て来なかったわけだが、今年は横にかつて日本史の鬼と言われた夫がいる。登場人物の説明のみならず、「これは通説」「これは新説」「これは独自解釈」と、適宜解説してくれる。何とわかりやすい。こうして遂に、あひるは生まれて初めて大河ドラマを一年間通して観たのだった! 見事完走したとき、何だか自分が偉業でも成し遂げたような気持ちに。いや、あひるは全然で、大きなことを成し遂げたのは、三谷幸喜&スタッフ&キャストの皆さんの方なのですが。
 ということで、49回目を観終わった時点では、「生まれて初めて大河ドラマを一年通して観ちゃったで賞」の特別賞を贈るつもりだったのだけれども、圧巻の最終回を観て、考えが一気に変わった。この最終回のために、三谷幸喜は、一年間の物語をずっと紡いできたのだな…と、胸を衝かれた。途中十分くらい嗚咽が止まらなかった。BSプレミアムで18時からの放映を観ていたので、20時からの本放送をもう一回観た。終わってからは何だか喪失感に襲われ…。
「…これがよく、人気ドラマが終わるたびにネットニュースに上がる“ロス”っていうやつか…」
 何しろ一年間、少なくとも週に一度は必ず、家族共々三谷幸喜&真田丸の人々について考えてきたわけである。脳内三谷幸喜濃度が非常に高い一年だったわけである。急に薄まる、薄められるというものではないのである。それはさておき。
 私は以前、…三谷幸喜はシェイクスピアに興味はないのかな…と書いたと記憶している。このとき私が言う興味とは、演出家としての興味であった。「真田丸」での三谷は、劇作家としてシェイクスピアに挑んでいた。武田信玄の亡霊を息子が見てしまう、序盤の印象的なエピソードは即座に「ハムレット」を思わせる。戦国武将たちの国盗りの物語に、笑いあり涙あり、彼らが家族と織り成す人間ドラマが差し挟まれる。シェイクスピアである。シェイクスピアが今日生きていたら、やはり大河ドラマを書いたであろう。リヒャルト・シュトラウスが今日生きていたら、映画音楽を書いたであろうと同じように。三谷幸喜は自身を喜劇作家と規定しているようにも思われるけれども、私は、喜劇も悲劇もどちらも行ける骨太なオールラウンダーだと、今年一年観ていて改めて思ったのである。
 圧巻の最終回、三谷幸喜は、ほとんど真田幸村を徳川家康に勝たせたいように思えた――。そして、勝負は負けたがその実質は勝っていたようにも思えた。逃げ惑う家康。いくら徳川家による支配がその後四百年続いたとはいえ、その姿はあまりに無様であった。ほとんど幸村が勝っていそうなのに、家康を狙った銃が暴発というあたりも実に興味深い“フィクション”である。一年間親しんできた登場人物たちが、一人一人、壮絶な死の見せ場を与えられ、命を散らしてゆく。その様に何だか、…タカラジェンヌたちが一人、また一人と宝塚を退団してゆくたびに、そのタカラジェンヌ人生について言葉を書き記すという自分の営為について考えた――。大阪城から頼みの豊臣秀頼がなかなか姿を現さない。終盤の豊臣家の失敗の悉くの原因となった大蔵卿局がこのときもやはり暗躍しているためだが、この役回り、蜷川幸雄がシェイクスピア作「アントニーとクレオパトラ」においてクレオパトラの侍女に与えたのと同じ解釈であった。
 三谷幸喜らしい遊び心も楽しかった。幸村たちが九度山村からこっそり逃げ出す際、宴会で踊りながら一人ずつ抜け出していくのはほとんど「サウンド・オブ・ミュージック」の脱出シーンだし、茶々が自ら甲冑を着て浪人たちを鼓舞するシーンは甲冑に羽根までついていてほとんど宝塚の男役スターのパロディ。第49回にしてようやっと、幸村が幼なじみのきりと合戦前夜に結ばれるシーンはほとんど、「ベルサイユのばら」でオスカルとアンドレが結ばれる“今宵一夜”の男女逆バージョンである。そんな遊び心の中から“心の名場面”を。かつて大河ドラマ「黄金の日日」で主人公・呂宋(ルソン)助左衛門を演じた松本幸四郎が、38年ぶりに同じ役を演じるとして話題になった。ここで助左衛門は、信繁に頼まれ、豊臣秀次の娘を呂宋つまりは今のフィリピンに逃がすことを引き受ける。ほとんど、マリー・アントワネットの遺児ルイ・シャルルを助けた宝塚版「スカーレット ピンパーネル」のパーシー・ブレイクニー、はたまたマリー・アントワネットその人と家族たちを助けた宝塚の「ルパン三世−王妃の首飾りを追え!−」のルパン三世なのだが、「助左衛門は弱き者の味方です」と言って、幸四郎の助左衛門が見せた、その慈愛の微笑みが忘れられない。
 何しろ登場人物の数が多いため、その全員についてふれる余裕は残念ながら今はないが、舞台を観て好印象を抱いている役者の活躍を観てはおお! と心で応援したり、この人が今度舞台に出るならば観に行かなくてはならない…と決意したり。渋い俳優の宝庫だった。
 さて。三谷幸喜は「遅い!」と思っていることがわかった。…私もそう思う。というか、私以上にそう思う人間がいるだろうか。…日に50遍くらい、待っていても意味がないのではなかろうか、というか今いったい何待ちなんだろうかと考えざるを得ない。このままでは何も起こらないままおばあさんになって死んでしまうのではなかろうか、とか。でもまあ、本人も一応その自覚はあるということが今年わかったし、時間が異常にかかるところも含めての人だし、今年一年、大河ドラマを毎週観続けてあひるの耐久力もまた培われたので。…あ、続き物視聴にも慣れたので、年明けはドラマ「嘘の戦争」を観る所存。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.seesaa.jp/tb/445382215
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。