藤本真由オフィシャルブログ

そうさ合言葉は〜SMAP最後の日に寄せて
 幼稚園のときからの男性アイドル遍歴といえば、ジュリーこと沢田研二、たのきんトリおの田原俊彦、小学5年生でカナダに渡りMTV文化にどっぷりはまる中でふれたカルチャークラブのボーイ・ジョージにワム!のジョージ・マイケル、そしてニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックにテイク・ザット、等々――。どうも子供の頃から性差を超えて傾いている存在にも心ひかれていたようなのだが、20代の一時期、ボーイズ・アイドル評論家になろうと真剣に考えていたことがある。90年代中盤、夫が留学しているイギリスに行くたび、名も知らぬアイドル・グループのCDをジャケ買いしては聞きあさる。写真のルックスだけで選んでいるとたまに全然アイドルではなかったりして。その当時入手した珍品の中には、ちょうどEメールのはしりの頃であろう、その名もEmaleなるグループの「We Are Emale」(あひるが邦題をつけるなら「俺たちE男」)という“アイドルは連呼する”ソングがあるが、それはまあさておき。
 SMAPにはまったのはちょうどその頃、「SMAP×SMAP」の放映が始まり、私がまだ新米記者だった時代の話である。日本にも遂にこんなアイドル・グループが現れたのか! と感激した。新鮮だった。番組を録画して観、アルバムもすべて買い揃えた。たまにメンバーの取材に行くこともあった。ドラマ「名古屋嫁入り物語」にゲスト出演する草g剛の取材のため、名古屋に出張したことは忘れがたい思い出。
 しかし、次第にある思いがあひるの心に湧き上がる。…解散しないんだな…と。何も積極的に解散してほしかったわけではない。けれども。ボーイズ・アイドル評論家を志していたあひるからしてみれば、アイドル・グループにはメンバーの脱退や解散がつきものなのである。専科生を除き、宝塚歌劇に退団がつきものであるように。解散までいってそのグループの物語が完成するというか、第二章が始まるというか。ワム!もニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックもテイク・ザットも解散した。人間だから、若い頃から活動していくうち、いろいろ方向性が違ってきて、それぞれの道を歩みたくなったりするのも自然な話なのである。ましてやこれだけ異なる個性が一堂に会したグループなのだから。
 それぞれが個性を発揮しながら、解散しないでスーパー・グループであり続けるところもまた、SMAPの斬新なところであるのだろうとあひるは思った。ちょうどその頃、舞台芸術の評論の道を歩み始めたということもある。一時のような熱狂ではなく、同じ時代を生きる者として、SMAPの活動を見つめていたように思う。そして、メンバーが舞台に立つ際には、舞台評論家としてその活動に向き合ってきた。
 一連の解散報道に接して、私が舞台評論家として非常に残念だったのは、SMAPのメンバーの舞台役者としての今後の可能性にふれる記事があまり見られなかったことである。ということで、過去に書いた内容と重複することも承知の上で、ここ数年、劇場空間で接したメンバーの活躍について、記しておくこととする。

 もちろん、それまでも彼の舞台は観てきていた。けれども、私が舞台役者草g剛の可能性に大いに目を拓かされたのは、2009年の“謝罪会見”の際なのだった。…私自身を含む多くの人々は何も具体的な迷惑なんてかけられていないんだから、そういった人々に謝る必要なんてまったくないですよ、そんな思いで会見の中継を見ていた。――私はあれほどまでに素晴らしい会見を見たことがない。私は日頃、劇場空間で、戯曲というフィクション=ある種の“嘘”における劇作家や演出家や役者の思いが真実であるのかどうか、見極める営為に従事している。そして、彼の言葉に嘘偽りはなかった。己の心を実に率直に語っていた。一番心揺さぶられたのは、失敗の原因となったお酒をまた飲むかと問われたときの表情である。さまざまな感情がないまぜになった表情を一瞬浮かべて、そして彼は、人間だからまた飲むこともあるだろうと述べた。人として実に誠実だと思った。こんなにも大勢の前で己をこれほどまでに潔くさらけ出すことができるのであれば、これはもう、素晴らしい舞台役者になるしかないだろう! 、そう思った。その失敗が原因でもし、テレビ界というところに場所がなくなるようなことがあっても、あなたには舞台芸術界があります! と。
 実際には彼はテレビ界から締め出されるようなことはなく、安堵した。そしてその会見から一年半ほどして、草gは世田谷パブリックシアターの舞台に立った。世界第二の高峰で遭難した二人の男性の心情を描く「K2」、相手を務めるのは堤真一である。――圧巻だった。二人をつながれているザイルを切らなくては、一人は助からない。そんな極限状態を演じる草g剛を観ていて、”A friend in need is a friend indeed――まさかの時の友こそ真の友”という諺が心に浮かんだ。彼はその極限を知っていた。その際救ってくれた友に心深く感謝していた。To err is human, to forgive divine.意識的であれ、無意識であれ、過ちを犯さない人間などいない。そんな人間の真理を知ったからこそ、舞台役者としてここまで飛躍できたのである。私は件の会見の際抱いた、「これはもう、素晴らしい舞台役者になるしかないだろう!」との思いが見事に叶えられたことがただただうれしかった。
 その一年後に演じた「ぼくに炎の戦車を」の好演については、公開稽古レポートにも記した(http://etheatrix01.eplus2.jp/article/300944030.html)。今でも、舞台終盤、ウィリアム・ブレイクの詩を誦する際の、鮮烈な白い炎のような魂のほとばしりが心に突き刺さっている。そして、香取慎吾とタッグを組んだ三谷幸喜作・演出「burst!〜危険なふたり」(http://daisy.eplus2.jp/article/431853256.html)。この作品における秀逸な仕掛けとして、電話だけでつながっている、爆弾を仕掛けられた人と爆発物処理専門家とを、作品の途中で互いに役を取り換えて演じるのだが、前半の爆弾を仕掛けられた人役で見せたどこか愛すべき脱力感がとりわけ心に残る。そしてギターを奏でてのフィナーレの、とぼけた自然体のおかしみ。

「burst!〜危険なふたり」では、舞台役者香取慎吾についても発見があった。彼の舞台はその前に、同じ三谷幸喜作・演出の「TALK LIKE SINGING」を観ているのみだが、そのときはどこか、“香取慎吾”を演じているようにも感じられた。だが、盟友草g剛を相手にしてのこの舞台では違った。実にストレートで素直な演技をする人なのだなと感じた。香取に関しては、前半で演じた爆発物処理専門家役で、眼鏡姿もきりりと、相手の説明の要領の得なさをぐいぐい突っ込んでいく様が忘れがたい。

 稲垣吾郎が今年主演した「恋と音楽 FINAL〜時間劇場の軌跡〜」の楽しさについてはすでにふれた(http://daisy.eplus2.jp/article/434608227.html)。公演の際には報道も喧しくなっていて、だから観ていてせつなかった。前にこのシリーズを観ていて、…稲垣吾郎は、SMAPのメンバーみんなでこんな舞台をやれたら楽しいだろうな、そんなことを考えているんじゃないかな…と感じたことがあったから。それにしても、世間ではあれこれ騒ぎ立てているというのに、彼は実に飄々としてプロフェッショナルで、カーテンコール後に出てきた際の挨拶では観に来たファンと観客に気遣いまで感じさせて、そして何より舞台姿が素敵だった。その姿に、二十年ほど前、私が初めて好きになったSMAPのメンバーが他ならぬ彼であることを、懐かしい人に思いもかけずうれしくめぐり会うようにはっきりと思い出したのである。

 アイドル・グループには解散がつきものである。一緒にやっていこうと思えなくなった、それ以上の解散理由などない。説明責任もない。もちろん、いろいろあって解散したけれども、また一緒にやろうぜと再結成するグループも少なくない。
 それにしても偉大なグループである。地元の商店街で買い物していて、ふと立ち寄った店で店員とお客さんとがSMAP解散について熱く語っているので、思わずあひるも上記のような論を引っさげ熱く参加したり。そんな存在、他にあるだろうか。
 今日まで長い間、多くの人々と共に時代を生きてきてくれて、本当にありがとう。明日からも、一人一人がそれぞれの場所で最高に輝いていけますように――。
 何しろ一時期は全アルバムを集めて聴きふけっていたくらいだから、好きな曲はたくさんあるけれども、その中でもとりわけお気に入りの曲、メンバーが中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草g剛、香取慎吾の6人だった頃の、永遠の青春を讃えるようなユーフォリックな“アイドルは連呼する”ソングから一節を引いて、この文章をしめくくることとしたい。

S.M.A.P. OK!
そうさ合言葉はWe Take A Chance
夢を抱きしめて…
                   (「SMAP#2」より)