藤本真由オフィシャルブログ

「倚松庵」探訪〜「細雪」徒然その1
 現在、明治座では谷崎潤一郎の長編小説が原作の「細雪」を上演中である。壮一帆が四女・妙子役で出演する今回の舞台を機に、作品の世界に改めて深くふれようと思った次第。
 ということで、まずは作品の舞台、兵庫県神戸市東灘区の「倚松庵」を訪ねたお話から。

 1月の「壮一帆ニューイヤーディナーショー2017」(ホテル阪急インターナショナル)を聴いた次の日、初めて「倚松庵」を訪れた。改修工事が早く済み、昨年暮れより公開が再開されたとのこと。
 六甲ライナーを魚崎駅で降り、150メートルほど北に行った、住吉川のほとり。六甲ライナー建設のため、以前はもっと駅寄りの場所にあったのが移築され、その際の耐震補強が幸いして阪神大震災にも耐えたという。谷崎が関西で住んだ家では岡本の「鎖瀾閣」が阪神大震災で全壊、復元を目指す活動の看板が阪急神戸線沿線駅のホームに掲げられていたのを覚えているが、そちらの方は残念ながら断念となった模様である。何が残るか。何を残すか。人智を超えた力の差配の不思議を思う。
 近代建築が好きな私はあちこちの館をよく訪ねるけれども、「倚松庵」は必ずしも、とてつもなく贅を凝らしたとか、建築家の理念がうかがえるとか、建築史上に名を残すといった類の建物ではないように思う。この家が後世に残される存在と成り得たのは、ここで営まれた暮らし、その微細までもが、「細雪」という文学作品の中に記録され、芸術として昇華されており、なおかつその作品が今日まで多くの人々によって愛され続けているからだろう。部屋一つ一つをめぐりながら、私は「細雪」の中でその場所が登場するエピソードを思い起こしていた。ここが、妙子が「雪」を舞った洋間。ここが、妙子がラジオを聴くため扉を開け放したまま入っていた風呂。ここが、作品冒頭で幸子が妙子に「こいさん、頼むわ。―――」とお白粉を塗るよう頼む二階の八畳。――フィクションとしてとらえていた作品世界が、急にあざやかにフォーカスが当たって目の前にぐっと引き出されてきたような、そんな感覚さえあった。生きていたのだ、あの人々は。この空間で、さまざまな思いを抱えながら。生きていたのだ――。そして、戦争中の難しい時代、私家版を配布することすら軍に禁じられながらも物語を書き続けた作家のことを思った。戦争の只中にあっても、そこには戦争と必ずしも関係があるわけではない生活が確かにあった。そしてそれを書き記したい、書き残したいと思った人がいた。その事実は私をどこか勇気づける。何か大事件が起きたとて、日常がそれ一色で塗りつぶされてなるものか。人間のごく普通の営みは続いていくものなのである。それでも、なお――。
 家は、作品を読んで想像していたより狭かった。あれだけの人数の家族と女中とで暮らしていたら、さぞや混み合い、プライバシーも何もあったものではなかっただろう。「細雪」公演プログラムを読んで、谷崎が実際の広さより1.5倍ほど広く描写していたことを知った。
 魚崎駅を降りたとき、駅すぐ近くに「ここだ」と何故か思った場所があったのだが、尋ねてみると、そこがもともと「倚松庵」の建っていた地なのだった。帰り道、そのあたりを丹念に回って歩き、今なお残る洋館や古い日本家屋に眺め入っていた。
 帰りは阪神線の魚崎駅に出た。宝塚大劇場に行くため阪急線に乗ることは多いけれども、阪神線はあまり乗る機会がない。駅のホームで、この前阪神線に乗ったのは、一昨年の一月、大阪千日前の国立文楽劇場で「冥途の飛脚」を含む一連の公演を観て、神戸のオリエンタルホテルに泊まるために移動して以来だったと気づいた――その翌日には宝塚大劇場で雪組の「ルパン三世」を観た。その国立文楽劇場そばには谷崎潤一郎の文学碑があって、文楽の「心中天網島」に言及した「蓼喰ふ虫」の一節がそこに彫られているのを眺めていたのだった。そしてだいたいが神戸でオリエンタルホテルに泊まりたいと思うのも、今となっては場所も経営も異なるけれども、そのホテルがたびたび「細雪」に出てくるからなのだった。
 阪神三宮まで行き、神戸で一番古いというイタリア料理屋で遅い昼食をとった。クラシックでオーソドックスなイタリアンで、何を食べても美味である。「おいしい、おいしい」と繰り返す私に、店のご主人夫婦は親切にあれこれ説明してくれた。――食いしん坊ぶりを大いに発揮しているうちに、何だか自分は文豪の真似をしているみたいだなと、その一週間ほど前に読んだ「食魔 谷崎潤一郎」(坂本葵)を思い出し、おかしくなってきた(もっと谷崎潤一郎を読みたくなり、そしておいしいものも食べたくなる好著である)。
 そしてその足で、トアロードにあるお気に入りの帽子屋に行った。ここまで来るともう期せずして、「細雪」追体験極まれりである――「細雪」には妙子がトアロードにある洋服店で駱駝のコートとアフタヌーンドレスを作った話が出てくる。イタリア料理屋から帽子屋まで歩く道中、とても残念だったというのは、トアロードから「レストラン ハイウェイ」が消えていたからである。谷崎ゆかりの店というのは知っていて、何度かその前まで行ったのだけれども、女一人で夜入る度胸がなくて、とうとう入らずじまいだった。その後レストランは移転し、そして閉店してしまったけれども、その初代店主は「細雪」で、妙子の恋人であるカメラマンの板倉のモデルとなった人物で、店名の名付け親が作家その人なのだった。「与兵」として出てくる生田神社近くの寿司屋「又平」も、やはり入る度胸がないまま、閉店して住吉に移転してしまっていた。街はうつろう。神戸にはまだ、谷崎の時代を知る建物もあって、けれどもそうして失われていくものもあって、――何が残るか、何を残すか、人智を超えた力の差配の不思議を私はまたも思っていた。

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