藤本真由オフィシャルブログ

 退団作となった「バラの国の王子」で、野獣に変えられた王子の家臣の一人、ミスター・モンキーを演じて、桐生園加は銀橋で軽やかに舞い踊る。恐らく、2009年の「ラスト プレイ」で演じたチンピラ、ヴィクトール役として、相棒と交わした楽しい珍問答、「俺は去る」「猿になるのか?」からの連想ではないかと推察。「ラスト プレイ」の“心のキャラ”ヴィクトールを懐かしく思い出した(http://daisy.eplus2.jp/article/136655817.html)。
 昨年の「スカーレット ピンパーネル」でのプリンス・オブ・ウェールズ役での好演については、<頭脳派ダンサー、快演〜宝塚月組「スカーレット ピンパーネル」その7>http://daisy.eplus2.jp/article/154793185.htmlにおいて記した。前回大劇場公演の芝居作品「ジプシー男爵」ではセリフでヴィジョンを出していた。併演のショー「Rhapsodic Moon」では、桐生はロケットボーイを務めて観客の心楽しませる銀橋渡りを披露した。このときの姿に連想したのが、彼女が入団し、花組に配属されたときにトップスターを務めていた愛華みれである。ぱあっと明るく華やかに、どこか大陸的な大らかさで客席を包み込み、魅了する様が、「Rhapsodic Moon」を担当した中村一徳が手がけた「ザ・ビューティーズ!」での愛華の姿を彷彿とさせてならなかった。
 桐生園加は“ダンサー”である。ダンサーであるからには、“音”になる瞬間を一度は観てみたい…とずっと願ってきた。その夢が叶ったのが、今年の初め、彼女が芯を務めたダンス公演「Dancing Heroes!」である。第一部の終わりに、出演者一丸となっての気迫のこもった和太鼓の場面があったが、センターに立つ桐生がソロで叩きつ踊った刹那、彼女が“音”と一体となったのを、私は確かに目撃したのだった。
 「バラの国の王子」でも、退団のショー「ONE」の中詰、さまざまな“世界一”を競う楽しい“ギネス”のシーンでは、「くるみ割り人形」の曲に乗せて得意のマリオネット・ダンスを披露している。”One” and only、唯一無二のダンサーぶりを見せて、桐生園加は宝塚を去る。

 「バラの国の王子」で同じく家臣の一人、ジャガーを演じている研ルイスは、ずっとずっと、月組にいる人だと思っていた…。
 あひるは今でこそ、舞台上のパフォーマーが歌っているときばかりではなく、セリフをしゃべっているときにも、そして、作曲家、劇作家、演出家の“想念”のヴィジョンもよく見えるようになった。しかしながら、昨年の「ジプシー男爵」「Rhapsodic Moon」での研ルイスには驚いた。何と、客席に向かって歩いてきただけでヴィジョンが現出! 宝塚歌劇の舞台に賭ける想いが本当に真摯で強い人なのだと感じ入ったものである。
 今年一月半ばの「STUDIO 54」は、そのジャーナリズム、ジャーナリストの描き方にあまりにショックを受け、怒りを通り越して悔し涙が止まらなくなり、自動泣き人形のようになってしまって、記者招待日、近くに座っていた取材仲間を大いなる混乱に巻き込んだあひる(よもや感動のあまり泣いているのではあるまいなと誤解させた模様)。一度でも事実や写真の捏造に手を染めた者が、真実などと言い出しても…。逆に言えば、心あるジャーナリスト、カメラマンならば、己の報道に何とか真実性を担保するために日夜心血を注ぎ続けるものなのである。そんな厳然たる事実を理解しようとはしない者もいるのだと、悲しく思った。
 けれども、その涙は、ジャーナリスト、ボリス・アシュレイを演じた研の高潔さに救われた。ボリスは、君だけの真実を書くのだと、実は息子である主人公ホーリー・アシュレイを励ます。研の落ち着きあるたたずまいが、世界中を旅して回り、己だけの真実を見つめ続けてきた一ジャーナリストの姿を体現していた。作中、ファンキーで個性豊かなキャラが多数大暴れすることができたのも、研がそのキャリアを通じて培ってきたしっかりとした男役芸を見せて、舞台における宝塚性を護っていたからに他ならない。この作品における“心のキャラ”はボリス・アシュレイをおいて他にない。
 「スカーレット ピンパーネル」映画版では、研扮するサン・シール侯爵のギロチン台での絶唱が大写しになったことがうれしかった。
「神よご覧あれ/狂った時代を/いつかお前たちに/報いが来るぞ」
 研ルイスは、宝塚の男役として、芝居の月組の伝統を受け継ぎ、月組カラーを保つことに腐心してきた。何もトップやスターでなくても、そんなタカラジェンヌたちが、いつの時代も、いつの組にも数多存在する。彼女たちの存在は決して軽んじられるべきものではない。このサン・シール侯爵の絶唱が呪詛ともならぬよう祈っている。
 Thank you all and goodbye for now!
 というわけで、雪組の覚醒者第一号は、「黒い瞳」「ロック・オン!」で神々しいまでの舞台を見せている晴華みどりである。己の使命を確信した者だけが見せる、尋常ではないオーラにあふれている。つぼみを愛でる花なのかと長年思っていたら、開花してみたら、このうえなく大輪の麗しの花だった! 晴華みどりのこんな舞台が観られるなんて、本当に感無量である。ずっとずっと、彼女はいったいどこに行ってしまうのだろう…と思わないでもなかったから。
 「黒い瞳」で晴華が演じるのは、ロシアの実在の女帝、エカテリーナU世である。1998年の初演では、後に劇団四季で活躍する実力派娘役、千紘れいかの演技が評判になった。ヒロイン・マーシャをかばい、無実の罪に問われることとなった主人公ニコライ。ニコライを救うため、マーシャは単身ペテルブルグへ赴き、エカテリーナU世に直訴の嘆願を決意する。あひるは昔、偕成社の「少女名作シリーズ」が大好きで、なかでも忘れがたい二冊が、「椿姫」と、ロシアを舞台にした「あらしの白ばと」だった。「あらしの白ばと」は、無実の罪でシベリア送り(という言葉を覚えた作品だった)になった親を救うため、ヒロインが一人ペテルブルグまで旅し、陛下に直訴して赦しを得る物語だったのだけれども、年端もいかない少女が愛と勇気をもって行動し、ほとんど不可能を可能とする、その姿に、少女のあひるは勇気づけられていたのだと思う。
 その「あらしの白ばと」を読んだときの気持ちを思い出させてくれる、「黒い瞳」のエカテリーナとマーシャ対峙のシーンは、あひるの心の宝塚史に残る名場面である。そして、今回の晴華みどりと舞羽美海による演技は、1998年の初演の記憶を超えて、心に深く刻まれることとなった。
 身分や立場を超えて、人間として向かい合うエカテリーナとマーシャ。二人の心の中にはそれぞれ、深い愛ゆえに守りたいものがある。エカテリーナは、亡き夫から受け継いだロシアという国。マーシャは、己の身の危険も顧みず自分の命を救ってくれた、愛するニコライの命。二人は互いの鏡である。エカテリーナはコサックの娘マーシャの中に、自分と同じ愛を見る。そして、国を守ろうとするあまり、立派な女帝を演じようとするあまり、人間として失われていた感情が自分の中にもあったことを思い起こす。彼女は歌う。優しき愛を。夢見る心を。絶唱である。そして、マーシャへの敬意をもってニコライを赦す。
 出てくるだけで周囲を圧するほどの存在感。女帝役にふさわしき位の高さ。そして、誇り高き人間のうちにひそむ心情を伝えてやまない歌唱。晴華みどりにエカテリーナ役をふった人物こそ、今回の雪組全国ツアー公演成功の最大の陰の功労者である。そして、このような人材を生かせる脚本を書くことのできる演出家の登場を痛切に願うものである。多様な人材が活躍を見せてこそ、舞台はますます活気づく。個人的には、今の彼女で一番観てみたいのは、「エリザベート」のゾフィーである。作品の上演史に残る名演が生まれることと思う。
 ショー「ロック・オン!」でも晴華は快進撃を見せる。「第2章 Piano〜Forte」の場面での役どころは、ステージシンガー。ゴールドの帽子にゴールドの衣装、まばゆい姿で彼女は、華やかな舞台への憧れを歌う。「私、今、宝塚の舞台に立っていて、そして、昔自分が客席で観て心奪われ憧れたような舞台ができていて、本当に楽しいの! 心から幸せなの! そのことを誰より、宝塚を愛して劇場に足を運んでくれるお客さまに伝えたいの!」と、心を叫ぶように伝える、輝かしい歌。そして、帽子をとった彼女は、これまで見せたことのないようにりりしく、それでいて優しい愛で包み込むような、一人の大人の女性の顔をしていた…。
 耽美に溺れた紳士の罪を赦して歌う「アメイジング・グレース」も、今の晴華に実にふさわしい歌。そして、パレードでは、歌姫によるしびれるようなエトワールを久々に聴いた…と思った。晴華の歌い上げから拍手のタイミングまで音楽的にちょっと間があるのだけれども、その歌に一瞬も早く喝采を送りたくて、客席がじれる空気が体感できるほど。

 そんな晴華を筆頭に、雪組生が、舞台人、タカラジェンヌとしての原点を確認した上で、宝塚歌劇への愛を語り合う舞台を観ていたら…、世にも不思議な体験をした。
 私の意識はかつて、初めて宝塚歌劇に心奪われたそのときへと確かに戻っていた。
 思い出すのではない。一度、宝塚観劇の記憶の蓄積がすべてリセットされて、あのとき初めて感じたのと同じ心のときめきを再び、けれどもやはりまったく新しいものとして味わっていた。初体験と追体験が同時に訪れてきたとでも言おうか。「こういう舞台が観られるから、宝塚って素敵だなと思えるんだよね」と思うのではない。目の前の舞台が、初めて観る宝塚の舞台として見えて、「こんなに素敵な世界が観られるところだなんて、知らなかった!」と、私は初めて感動していたのである。…こうして書いていても、不思議な体験に、背中の震えがおさまらない。
 そして実際、今の私は、宝塚の舞台を観ていて楽しくて楽しくてしかたがないのである。タカラジェンヌ一人一人に、宝塚との、ときに運命的な、ときに衝撃的な出会いがあり、そして、こんなにも深く宝塚を愛するがゆえにその舞台に立ち続けてきた、その心が、舞台上に生き生きと息づき、躍るのを観られることが、幸せでしかたがないのである。
 もう一つ不思議。
 1999年初演、2001年に再演された月組公演「プロヴァンスの碧い空」は、比喩ではなく、私の生命を救ってくれた舞台作品である。あの舞台がなかったら今日まで生きてはいなかったように思う。「プロヴァンスの碧い空」は太田哲則の作・演出による作品だったが、その流れをもっとも濃厚に汲んでいたのが、太田が2004年に手がけた雪組公演「送られなかった手紙」である。20世紀初頭の帝政ロシアを舞台にしたこの作品は、壮一帆にとってバウホール単独初主演作。そして、晴華みどりにとって初ヒロインを務めた作品である。同じ週に二人がそれぞれ己の使命に一段と深く目覚める様を見届けて、…世界のすべての出来事はやはり、目に見えない糸で複雑にも結ばれているものなのだと感じずにはいられない私がいる。
 真飛聖の宝塚卒業と、壮一帆の超覚醒を見届けて、「観劇戦士アヒレンジャー」“花組編”「二人の絆は永遠に〜さらばマトレンジャー&ソウレンジャー、魂に誓え!」は幕を下ろした。澄みわたった青空のようにすがすがしくも晴れやかな、すばらしい退団会見でした。
 しかし、この世に舞台ある限り、観劇戦士に休息はない(実際、5月半ばまで休観日がない)。次回“花組編”「美の殿堂を守りきれ!〜黒燕尾服は誓いの証」の予告編を見て、…じゃなかった、「ファントム」制作発表会に出席して(蘭寿とむと蘭乃はな、蘭蘭コンビの並びや麗し)、アヒレンジャーは、勝負カラー、ピンクの“ル・パラディ”コート姿に変身、次なる決戦の場、雪組全国ツアー公演へと急いだ。…するとそこでは、とんでもない舞台が繰り広げられていた…!
 覚醒目前のレンジャーたちが、至るところで宝塚歌劇への愛を表現!
 覚醒は多大な精神的負荷を乗り越えたときにしか訪れない。最近、ユダヤ人である妻の命を守るため、ナチスと闘ったドイツ人哲学者、カール・ヤスパースの言う、<交わり→限界状況→絶対的意識>を経ての「存在意識の変革」が、自分の考える“覚醒”と近いのではないかという気がしていて、今度しっかり読んでみないと…と思っているのだけれども。大震災後、余震と原発事故と停電がもたらす不安を乗り越えて、東京宝塚劇場「ロミオとジュリエット」の舞台に立ち続けた雪組全体が覚醒してしまったとでもいうべきか。一人一人が、舞台に立つ意味を改めて考え、自分自身の宝塚歌劇への想いを問い直した結果、劇場全体が、人の心震わさずにはおかない愛あふれる空間となっていたのである。
 雪組新トップコンビ音月桂と舞羽美海は、一種の極限状況の中、共に創り上げた「ロミオとジュリエット」の舞台を通して深まった二人の舞台人としての絆を、互いのヴィジョンを盛大に出してキラキラお披露目中! 水面下に隠された氷山の大きさ、形を、出ている部分からのみ推し量ることは困難であるように、今、少しずつその姿を現しつつあるオールラウンダー音月の全貌、可能性ははかり知れない。「オネーギン」、「ロミオとジュリエット」、そしてプーシキンの「大尉の娘」を原作とした今回の「黒い瞳」と好演を続ける舞羽は、文学作品のヒロインが本当によく似合う。そしてショーでは可憐に男前! 二人のトップコンビぶりを観ていたら、あひるはついに、北欧出身のアーティストが表現する“熱さ”がなぜ、普段自分の感じる“熱さ”と異なるのか、そして、その違いこそがいわゆる雪組カラーなのかもしれないと思い至ったのである。かつての雪組トップスター轟悠を補助線にひいての雪組論は、二人の本格的覚醒の後に。
 そして、「ロミオとジュリエット」の「どうやって伝えよう」で、“伝える”人間としての決意を絶唱した未涼亜希の「黒い瞳」プガチョフの演技は、凄すぎて顎が外れそうになってしまった。
 一人「スカーレット・ピンパーネル」!!!
 物語の流れの中、コサックの反乱軍のリーダー、プガチョフのありようが、<グラパン→パーシー→ロベスピエール→ショーヴラン>と多彩に変化! 月組版「スカーレット・ピンパーネル」を見逃した方にもお勧め。以前、革命を成し遂げた頃のロベスピエールもまた、パーシーみたいな人だったのかもしれないな…と考えたことがあったのだけれども、それを舞台上で観ることになろうとは。英雄的人間がどうしてそのような哀しい変化を遂げなくてはならなかったのか、その心の闇をつきつめ、心のままに提示できたとき、未涼亜希の覚醒は完了する。何だか今、中身の大きさがいったい何倍にふくれあがるかわからないみたいな脱皮を目撃しつつある気がする。
 「ロミオとジュリエット」の“心のキャラ”は、大震災後の舞台で、シェイクスピアにちなんだ芸名にふさわしい快演を見せた、乳母役の沙央くらま。「はじめて愛した」のときも思ったのだけれども、彼女の演技はコミカルな中にもペーソスただようのがいい。そのペーソスを生かしきれば、「黒い瞳」の難役シヴァーブリンはますます輝くはず。そして、未涼共々、芝居もショーも大いにセクシー開眼中! 音月や二人をはじめとする男役が絡むショーの耽美な場面を観ていて、花組男役の色気のありようが「クラブ」(後ろにアクセント)のそれなら、雪組男役の色気は「ギムナジウム」なんだなと…。ここでの沙央はほとんど、「トーマの心臓」実写版! 舞咲りんと花帆杏奈、並の男ならそのうち一人さえもてあますような強力娘役二人を相手にするシーンでは、大人の色気に磨きをかけつつもあり、セクシー男役、沙央くらまの堂々たる誕生は近い。
 一樹千尋、舞咲りん、彩那音あたりも覚醒へのリーチがかかっていて、このままいけば、全国ツアー中に、ゴレンジャーより隊員の数が多い「覚醒戦隊スノウレンジャー」が出現しそうな勢い。5月22日まで、全国の劇場で、スノウレンジャーがみんなとタッチ! (実際、楽しい客席降りあり)
 そして次項は、ついに大輪の花を咲かせた娘役に、愛と感謝をこめて。
 本日、4月24日で真飛聖が宝塚を去る。正直、さみしくてしかたがない。こうして文章をしたためることも今回はやめようかな…と思ったほどだったけれども、花組トップスターとしてこの上なく立派な形で卒業していこうとしている人に対して、それはあまりに失礼というものであろう。何だかそうやって、退団の日までの時間を無理矢理止めようとしていたのかなと今は思う。
 真飛聖は、私が心に抱えていた傷を、舞台からの愛で癒してくれたタカラジェンヌだった。

 今年に入って、2月末の自分の誕生日まで何も文章が書けなくなってしまったのは理由がある。1月半ばに、ここ数年、自分としては最大限の愛をもって行なってきたことがまったく意味がなかったばかりか、ほとんど恨みを買っていたのだとわかるような出来事があった。それがきっかけで、治ったと思っていた心の古傷が開いてしまった。
 人生において費やした愛と時間が無駄だったと思うときほど虚しいことはない。生きてきた意味が否定されてしまう。生きていく意味すらわからなくなってしまう。正直、そのときの私はほとんどもう、どうしていいかわからなかった。もう愛を空費することも、恨みを買うことも本当に恐ろしくて、前にも後ろにも進めなくなった。自分としては最大限愛を注いできたつもりが、愛が足りないと言われるならば、もはや愛することなど到底不可能に近い。世界はあまりに広く、人はあまりに多く、そして、すべてはあまりに複雑すぎる。言いようのない無力感を抱えて、自分の心の中で、私は独り、うずくまっていた。
 ――出張して、宝塚大劇場で観た真飛聖の舞台には、愛があった。舞台と客席とで愛の交歓があった。心やすらぐものを感じた。暗い洞窟の中にちぢこまっていた心が、春のあたたかな光にふれて、ふわっと解き放たれてゆくようだった――。
 そんな舞台が可能であるのは、真飛聖が、舞台とは何より、舞台上の演者と客席の観客とで成り立っているものであるということを心の奥底から実感してその場所に立っているからである。そのどちらが欠けても決して成り立たない。宝塚歌劇で、男役として16年間舞台に立ち、今日、去ろうとしている彼女は、そうやって客席から愛を注がれてきたからこそ自分が舞台に立ち続けていられたことを知っていて、注がれただけの愛を自分が去る日までに返せているか、優しすぎるほどに優しいから心配で、だから、客席降りで数多くの観客と握手をし、東京公演の一ヵ月間、終演後は毎日募金のお願いにロビーに立ち続けてきたのである。
 その姿に気づかされたことがある。愛を愛として受け取り、愛として返せることができるか。それが可能な相手としか、人間は関係を持てない。愛が返ってこなかったように思える相手とはそもそも関係を持てていないのだから、愛が返ってこなかったと考えてはおかしいのである。
 そして彼女は、レプリーク誌のために行なった取材で、こんなことを語ってくれた。自分の男役を否定した時期もあって、けれどもやはり、自分にしかできない男役をやれるようになりたいと思い続けて、それが実現できた今、本名の自分が「真飛聖」としての自分を認められる、そのことで、自分を否定してきた時間も肯定に変わった、と。
 その言葉こそが何だか、ショー「Le Paradis!!」の歌詞にある、“人生という名の聖なる時間”の、このうえなく美しい解釈だと思う。そんな彼女の舞台にふれたことで、私の傷はすっかり癒えた。――ちょうど、鈍くささゆえに二年前に左手に負った大火傷が、癒えてきたように。よく文章が書けなくなってしまうので、大勢の人から心配されすぎて、ときどき自分が思った以上におおごとになりすぎて、…うわ、恥ずかしや、と思うのだけれども、真飛聖の舞台ですっかり癒えたから、あひるはもう大丈夫。つらい思い出は、真飛聖率いる花組の舞台がくれた楽しくも美しい思い出にすっかり上書きされたから、もう甦らない――と書くと、何だかちょっと、真飛のバウホール初主演作「花のいそぎ」のエンディングを不思議に思い出さないでもないのだけれども。

 レプリークでも彼女の舞台を振り返る文章をしたためたけれども、ここでは、私の心に深く残るいくつかの美しい記憶について記そうと思う。
 2001年、日本物作品「花の業平」の新人公演で、彼女は主人公の在原業平を演じた。その中に、業平が横臥している瞬間があって、その、どこかしどけない姿に、なんて美しいんだろう――と息を飲んだことがある。
 彼女は何だか、少々しどけないしぐさや姿勢が非常に蠱惑的に映る人である。昨秋の全国ツアー公演「ラブ・シンフォニー」のカジノのシーンでも、スーツ姿で台に横たわって登場する瞬間があって、これがまた何ともまあ色っぽいのである。
 そして彼女は、“黒”の男役ではないけれども、黒が似合う。黒というのは無難に見えて、実は非常に難しい色である。着る人によって、同じ黒でも安っぽくもなれば高貴にも見える。そして、真飛聖は、燕尾服の黒は無論、光沢のある黒が実に似合う人なのである。ショーのオープニングの羽根飾りのついたピンクのガウンをはじめ、数々のゴージャスな衣装を実にまた素敵に着こなしているけれども、今回、私が一番好きな真飛の衣装は、「Le Paradis!!」の中詰で着ている、黒のベルベットに光り物があしらわれたスーツである。最高にほれぼれする。そのスーツ姿で真飛は、花組の男役陣とセクシーバトルを展開した果て、ドレス姿で待つ壮一帆と最終にして超絶の決戦を踊る。今回のショーの“心の名場面”ダンディ&セクシー編である。ここでの髪型はオールバックにしていて、そうすると彼女はなぜか“おっさん”芸全開になる。“エロくも高貴なおっさん”なる不思議を、ここでの真飛は体現する。
 しどけない色気と高貴の両立。それは、結局のところ、彼女のもつ人間としての“品”に行きつくのだと、私は退団公演にして思い至ったのである。だからこそ彼女は“やさぐれ”も非常に得意である。「フリュイ」の場面、赤いだぼだぼスーツに身を包んだジゴロ姿でのありようは、星組でのやんちゃな下級生時代の真飛を彷彿とさせて本当に懐かしい。真飛はその姿で、「Exciter!!」での椅子を使ったシーン同様、まるでセリフが聞こえてくるように語るダンスを見せる。表情といいしぐさといい、やさぐれ放題なのだけれども、最終的に“品”があるからこそ、決して下品には見えない。だからこそ、星組時代、荒くれ系を得意とするようでいて、2003年の外部出演作「シンデレラ」では、実に貴公子然とした貴公子を演じてみせたのである。
 それにしても、真飛聖は本当に優しい人である。その優しさゆえ、きっと混乱することも少なくないんだろうな…と思う。「麗しのサブリナ」「Exciter!!」でついに全貌を現したその男役像を見て、「こんな複雑なものを創り上げようとしたら、時間がかかって大変なのも無理はないって…」と思ったことは前にも記した。なぜなら彼女は、これまで見聞きしてきた男役像の美学のエッセンスをすべて自分の内に取り込もうとしていたからである。それこそ、広い愛と優しさの表れに他ならない。
 その優しさが最大限表れていて大好きなセリフが、「愛のプレリュード」の「コーヒー、さめるぞ」である。憤りゆえ、ヒロイン・キャシーはカフェの椅子から立ち上がってしまうのだが、そんな彼女に真飛フレディはこう声をかける。お金持ちの娘として人々の注目を集めていることを気に病む彼女が、立ち上がって大声をあげたりして、カフェでさらなる注目を集めてしまうだろうことを心配して、でも、彼女を傷つけまいと、そうははっきり言わずして、フレディは「座れよ」というかわりにこう言うのである。いかにも真飛聖らしい優しさだな…と、しみじみする。
 そして真飛は、男役の“キザり”もまた、心の表れに他ならないことを教えてくれた男役である。「かっこいいだろ」という心でやっていては、観客の心をひきつけるキザりは決してできない。無論、かっこよさはとことん追求した上で、素直な心のまま差し出す。その姿にこそ、観客は魅了されるのである。
 男役が絡むシーンは花組のお家芸のようなところがあって、今回もセクシーバトルがちゃんと用意されていたけれども、「Exciter!!」の、真飛と壮と愛音羽麗が銀橋で寝そべってまでキザりを競い合うシーンも凄かった。真飛と壮と愛音、ワンツースリーが絶妙な三角形を描いていて、互角にキザりあえるところに、2010年における宝塚の男役のキザりの最骨頂を見た。他の組の男役も、「タカラヅカスペシャル」のような機会に、こうした男役芸をきっちり勉強するといいのに…と思っていたところ、実際、ちゃんと学びとった者がいた。真飛聖の男役芸が花組以外でも伝承されそうなのが楽しみである。

 二月に取材したとき、退団後、舞台を続けるかどうかはわからない…と聞いて、正直あひるはがーんとショックを受けた。もう、真飛聖の心を通じて知る美しいものが観られなくなるのかもしれないのか…と思って。
 「麗しのサブリナ」「Exciter!!」以降、真飛率いる花組の舞台は、楽しさがスパークしていた。その歌に、セリフに、ダンスに、真飛の宝塚への愛を観、聴いた。「愛のプレリュード」の歌唱はもちろん、秋の「メランコリック・ジゴロ」の序盤、白いスーツを着て歌う場面でも、宝塚音楽学校時代の制服姿に、夜遅くまで稽古して渡った夜空の下の宝塚大橋のヴィジョン等々、数々の思い出が浮かび上がって、…何だか秋からずっと、真飛聖と共に、彼女の宝塚人生の追憶の旅に出ていた気がする。そして、取材の際に一緒に見ることとなった、彼女が入団を決意した一葉の写真…。
 トップお披露目の東京公演の初日前の舞台稽古で、あまりに緊張していて大丈夫かな…と本当に心配になったときから、今日までずっと、一取材者として彼女のトップ姿を見てきたけれども、彼女は、私のためにも心の中にちゃんと居場所を用意してくれている優しい人だった。囲み取材等で顔を何度もあわせるうち、お互いの立場同士で芽生えたある種の思いを感じるようになって、これまで、個人的に会ったり話したりということはないけれども、これもまた“友情”の一つの形なのかもしれないな…としみじみ思う。
 今さらながら、二度の「Exciter!!」と「相棒」の“心のキャラ”は、真飛聖演じるMr.YUと、杉下右京だった。とりわけ、Mr.YUにはとても親しみを感じる(昨年秋の出張でも、Mr.YUばりに大あわててカルガリー&バンクーバー空港を爆走したあひるであった…)。そんなMr.YUも含めて、キュートな真飛さんに会えなくなってしまうのはさみしすぎるから、もし、また舞台をやりたいな…と思う気持ちが芽生えたら、戻ってきてください。歌えて踊れて笑いが取れて、覚醒した男役が、美人女優となってどんな舞台を見せるのか、興味がある人は何も私ばかりではないと思うから――。Miss you! そして、今日まで見せてくれた愛にあふれた舞台に、心からありがとう。
 あひるはいったいどうして、昨年秋の「Exciter!!」での蘭乃はなの銀橋でのウィンクが、子供のころ大好きでしょっちゅう真似していた「秘密戦隊ゴレンジャー」のモモレンジャーの「いいわね? いくわよ!」のハート型のイヤリング爆弾攻撃みたいに男前でかっこよかったことを書いていないのだろう…。考えるだに、真飛聖退団発表のショックで半ばぼんやりしていたような。その話も含め、在団者の総集編はいずれ本当にすぐに。

 「愛のプレリュード」の“心の名場面”は、桜一花扮するメイド長のジュリー&真野すがた扮する執事長アレン以下、ローレン家の使用人たちが、一家の長である発明家ドイル・ローレンの発明完成披露パーティの前夜、一家のさらなる発展を願って歌い踊るシーン。前場で、壮一帆扮するジョセフがナチスの一味に脅されていて、音楽からしてドロドロ盛り上がったところに、唐突に流れる世にも能天気な音楽♪。そして、じっとしていればスマートでめちゃめちゃかっこいいだろうに、どこかひょうきんな執事長と、背中と腰は曲がっていてもステップは軽やかなおばあちゃんメイド登場! (このおばあちゃん、サミュエル・ベケットの「勝負の終わり」に出てくる、主人公ハムに虐待されてドラム缶の中に閉じ込められているのに、缶のふたが開くといつもニコニコニコニコ出てくる、ハムの母親ネルを思わせないでもない…)。二人に率いられ、使用人たちは、ローレン家の繁栄を誇り、軽快なソング&ダンスを披露するのだけれども、…サンタモニカの街が不況にあえぐ今、君たちがそんなに無邪気にローレン家の富を自慢しているから、キャシーお嬢様は街で、あ、金持ちの娘だ…とあらぬ視線を浴びてしまうのでは…と突っ込みたくもなる。途中、ハラホロヒレハレ〜とばかりに動く腕の動きが妙にツボ。
 真野と桜は同期の桜。1998年、「♪ノバ・ボサ・ノバ、エイティ・ファイブ〜」のラインダンスで初舞台を踏んだ。花組内のもう一人の同期、華形ひかると三人、「Le Paradis!!」で華麗に楽しげに銀橋を渡っていく姿に、同期で場面が創れる幸せを思う。実力と個性を兼ね備えた存在が複数残っていないと、可能とはならないからである。
 「相棒」では、真野扮する伊丹憲一と、華形扮する米沢守による“心の一瞬”があった。スカした捜一と、マニアックな鑑識係、馬の合わない二人が、“婚活”という共通の目標に向けて心を通わせた刹那、二人は手をつなぐ。“心の手つなぎ”と名付けた次第。
 伊丹もそうだけれども、「銀ちゃんの恋」の映画スター、橘役のように、真野は、ちょっぴし拗ねた風情がかわいらしい気のいいオレ様を演じて魅力的だった。「虞美人」では受けの芝居の確かさも見せ、昨秋の「メランコリック・ジゴロ」の「バカバカバカバカバカ〜」は、酔っていないときは気弱なマチウの爆発! が楽しかったし、「ラブ・シンフォニー」でくっきりヴィジョンを出して歌っていたことも忘れ難い。
 今回の「Le Paradis!!」のせりあがり「パレ」の“プランス・ブラン”で藤井大介が看破したように、真野すがたは“白”の男役、“白”の貴公子である。そして、最近になって気づいたことなのだが、彼女のマントさばきは紫吹淳流なのだった…! 紫吹が花組から月組に導入したマントさばきを、真野が月組から花組に返した不思議にしみじみせずにはいられない。

 「Le Paradis!!」のエトワールで、公演の楽しかった思い出をヴィジョンで出せるようにまでなってきていた天咲千華も今回、退団である。惜しいなあ…。
 彼女の最大の武器は笑顔である。微笑んだ目元のあたりからほわっと顔中にとろけてゆくような愛くるしさがある。「ラブ・シンフォニー」でも、その笑顔で楽しいラインダンスへといざなってくれた。「Le Paradis!!」の「ソレイユ」の場面では、愛音羽麗と、砂糖細工のように繊細なレース飾りがあしらわれた薄紫色のドレスで踊っているのだけれども、「こんなかわゆい笑顔されたらにっこり見つめてしまう!」「こんなに素敵ににっこりされたらいっそう笑顔を見せてしまう!」と言わんばかりに、二人の笑顔が無限連鎖。まるで、デメルの名菓、スミレの砂糖漬けのようにスウィートな場面。

 世に有象無象の“王子”はばかる前から宝塚で“王子”を張ってきた眉月凰は、「メランコリック・ジゴロ」の、「ハンカチと靴下だけでも」のセリフが、どうしてこんなに綺麗な顔で気になるのがよりによってその二つなんだろう…と何ともおかしく。「愛のプレリュード」では、無気力刑事が真飛扮するフレディの生き様にふれて熱血に変わっていく様を演じ、フレディが周囲に与えた影響をより大きく見せる効果を果たした。
 「Le Paradis!!」の「フィエーヴル」での高いリフトが印象的だった祐澄しゅん。そして、天宮菜生の退団で、「Exciter!!」で生まれた花組“ドリーム・ガールズ”は残念ながら解散である。ちなみに、天宮が出ていた「パルタジェ」は、天真みちるの“心のキャラ”に加えて、シーン自体も“心の名場面”キュート&ファニー編〜。同時退団の鳳龍アヤ、朝陽みらい、誰一人欠けても、今回の楽しい二公演は成り立つことはなかった。どうか、最後の瞬間まで幸せな舞台を!
 花組の真飛聖と壮一帆のコンビが大好きである。近年もっとも好きだったトップ&二番手コンビである。昨年秋の「麗しのサブリナ」「Exciter!!」で真飛が覚醒して、続く全国ツアーの「メランコリック・ジゴロ」「ラブ・シンフォニー」で壮が覚醒して、それからの二人はもう、ほとんど無敵だった。「メランコリック・ジゴロ」での会話の息の合い方ときたら! そこにトップ娘役の蘭乃はなも絡み、三人で繰り広げる超絶マシンガントークの楽しさが忘れられない。
 露骨にコンビ売りされてきたわけではない。同じ組で育ったわけではない二人の間には、下級生時代の仲良しエピソードがあるわけでもない。けれども、二人の間には、トップと二番手として共に舞台に立つうち、確かに築かれてきた揺るぎなき信頼感があって、互いのそのプロフェッショナリズムゆえの深い心のつながりが舞台の成果として現れているのを見ているのが、たまらなく好きだった。退団の二作品でも、真飛はしばしば、自分がここまでトップとしてやって来られたのは、自分が信じ、実現したいと思ってきた宝塚の夢に対し、壮が理解を寄せて尽力してくれたからこそ…と歌い、壮は壮で、真飛が舞台に描いた宝塚の夢を自分もまた引き継ぎ実現していきたいと歌う、そんなヴィジョンを相互に確かに見せる。脚本をどうにかして演技で埋めねばならない「愛のプレリュード」では、「今日はこういう演技で行くから!」と、出会いがしらにはっしとその日の方向性を決め合う二人の姿に感服至極。芝居とショーにそれぞれ用意されたデュエットダンスはもちろん、心の奥底に大切に飾っておきたい、忘れがたい名場面である。
 半年ほど前だったか、進まない原稿の合間に、「誕生日大全」という分厚い占いの本をめくっていて気づいたことがある。私はどんな占いであっても決して盲目的に信じるものではないが、真飛と壮の二人が誕生日的に“ソウルメイト(魂の伴侶)”の関係であると知って、ちょっとびっくりした。“恋人や友人”、“力になってくれる人”、“運命の人”、“ライバル”のどの項目でもなくて、“ソウルメイト(魂の伴侶)”。舞台上に見ている二人の絆を言い得て妙な気がする。
 24日に真飛聖が退団してしまったら、彼女の男役姿が観られなくなるのは無論のこと、真飛の演技に立ち向かう壮一帆の姿も観られなくなるんだな…と気づいたとき、途方に暮れそうになった。でも、その考え方は間違っているのだろうと思う。これからも、宝塚の舞台に立つ壮の姿を見れば、そこに、真飛が引き出した一面を見て、真飛を思い出すことができる。そしてもし真飛が退団後、舞台に立つとすれば、そこに壮が引き出した一面を見ることもあるのだろう。二人はお互いの中に生きているのである。

 二月のある日、クラシックの演奏会に行ったとき、リヒャルト・シュトラウス先生が話しかけてきた。
 「こないだ、楽しそうだったじゃないか」
 「そう、花組の『Le Paradis!!』はとっても楽しいよ!」と答えて、内心激しくあせるあひる。えっ、先生、あひるがうきうき花組公演観てるの見てたの?! 泣いたり笑ったり、どんな顔して見てたんだか、恥ずかしすぎる…。
 それから先生は、花組公演にもしばしば現れるようになって、舞台を観ているあひるに、あれこれささやいていくのである。先生は基本的に歌舞音曲系の人だから、ストレートプレイより歌と音楽のある作品のとき出てくることが多いのだけれども、最初はどうしてこんなによく花組公演に現れるのだろうと不思議だった。だが、次第にわかってきたことがある。
 先生が現れるようになったのは、昨年10月17日の「アラベッラ」以来なのだけれども、同じ時期に花組公演「麗しのサブリナ」「Exciter!!」が上演されていた。真飛聖が覚醒した公演である。「アラベッラ」も、花組公演を観劇した直後に観に行った。真飛聖の覚醒を見届けているうちに、あひるの中でも何かが起こったのかもしれない。そして今回の「愛のプレリュード」「Le Paradis!!」は「ばらの騎士」と重なっている。どうもあひるは、花組公演と先生の作品を同じ時期に観て聴いて、両者の理解を深める運命にあるらしい。
 先生は「Le Paradis!!」の後半、「サンティマン」以降に出てくることが多い。まずこの場面、過ぎゆく青春に思いを馳せて歌う真飛の姿に、ある日、こう言ってきたことがある。――自分は、ズボン役をよく作品に登場させてきたくらいだから、男装した女性の魅力に理解がある。その魅力をどう描き出しているか、ズボン役に書いた音楽をよく聴いてほしい、と。確かに、ここでの真飛は装飾の多い銀のブラウスをさっそうと着こなしていて、いかにも男装の麗人風の魅力に満ち満ちている。わかりました、これからの研究テーマにしますとあひる。「パラディ」での金の衣装の真飛には、こんなことも言っていた。――美に近づいたからといって、人は高慢になってはいけない。この人のようであるべきだ、と。
 そして、「エスポワール〜パラディ」の場面は何だかとっても気になるらしい。「大勢の人の心を一つにすることこそ芸術家の使命」と思う先生にとって、舞台上も客席も心一つになれるこの場面は、内心うらやましくもあるらしい。ある日、真飛が大きな白い羽根を背負って大階段を降りてきたとき、こう言うのだった。――大きな羽根、大階段、華やかできらびやかな劇場空間で、大勢の人の心を一つにするために自分の音楽が鳴り響いたとしたら、こんなにうれしいことはない。だから一度、自分の音楽を使ってみてはくれないか、と。
 言われてみると、確かに観てみたいなと思う。先生の特質を考えると、オペラ作品を宝塚化するなら大野拓史(「第三帝国のR・シュトラウス」なんか読むと非常に気が合いそうな気がする)、ショー作品ならやっぱり「Exciter!!」「Le Paradis!!」の藤井大介がいいと思うのですが。実現したらきっと、真飛聖が宝塚に残した男役の美学のみならず、先生の曲&作品に対する理解がめちゃめちゃ深まるような…。
 それで、壮一帆については、先生は「エスポワール」の歌い出しと、「ルミエール」に出てきていろいろ話しかけてきたことがあったのだけれども、そのときはまだ正直、舞台を観て歌を聴きながら先生の話にも耳を傾ける術があまりよく確立できていなくて、「先生、悪いけど壮一帆に集中させて!」と言ったら、先生は、「この人はとてもいい。とても可能性がある…」とだけ言って静かに去っていってしまって…。結局そのときはどういう可能性があるのか聞けずじまいだったけれども、その後もたびたび現れて、「わかってるだろうけど、この人だから」と、上の方から巨大な矢印みたいなもので指してきて、最近では「一月に自分が言ったことを守って、いい加減早く(この人の舞台について)書け」とせかしてくる始末。…どうやら、壮一帆に舞台人としてどのような可能性があるのかを解き明かすことこそ、今のあひるの使命らしく…。ただし、一月からの先生との一連の話をするとなると、今度は、今年上演された「わが友ヒットラー」に「南へ」、「コラボレーション」、「国民の映画」といった舞台作品、そして大震災時の野田秀樹の声明の話と、ナチスによる芸術統制という歴史的事実から学んだ教訓を、今の日本の演劇界をめぐる状況についてどう生かすべきかという話にまでつながってくるので…、“壮一帆の演技に知る古今名作シリーズ”も含め、皆様、2011年も気長にお待ちください。
 もうすぐ千秋楽という今になって、完璧”Le Paradis!!”なスプリングコートを見つけてしまったあひる。前立てにギャザーフリルがあしらわれていて、スタンドカラーにもフリルがついていて、黒にローズピンクの裏地、もしくは色違いが、ローズピンクに黒の裏地。黒の裾からちらっとローズピンクが見えるのも素敵なんだけど、マニッシュな人の方がかっこよく着こなせそうだから、やっぱりローズピンクかなあ…。
 …と、とかくお買い物心を刺激しがちな藤井大介作品にあって、異色の存在感を放っているあの人が今回の“心のキャラ”。もしかすると見事予想的中の方も多いのでは? そう、真飛聖演じる大スター、ムッシュ・サクレの追っかけ隊の一人、男役・天真みちる怪演! のおばさ…いえ、マダム。全身パープルで決めた強烈ないでたちも一度目に焼きついたら離れない彼女は、とんでもない押しの強さを発揮し、他の追っかけ隊を「ごめんあさあせ」と蹴散らし突き飛ばし、ムッシュ・サクレにとってほとんどありがた迷惑とも思える愛をぶつけに今日も劇場へと向かう。足取り軽く、恋心高まるあまりの投げキスをぶっちゅーと振りまきながら。
 しかし、彼女のムッシュ・サクレへの愛は意外にも純粋なものに思われる。きらきら光る瞳と、いかにもおばさんらしい振る舞いの合間にときおり見せるとびっきりの笑顔でわかる。そして彼女は、大スターの愛が自分にもっとも深く注がれていることをなぜか確信してやまない。銀橋に立ち、彼女は演歌歌手よろしくこぶしを回し、ドスの効いた声でシャウトする。
「♪幸せなのおお〜。きゃあ〜」(“おお〜”と“あ〜”に濁点振ってお読みください)
 熱狂とは恐ろしいものである。好きな人、好きなものに耽溺するあまり、人はときに、他者の目を忘れ、自分の世界に入り込む。天真の怪演は、行き過ぎた“偏愛”のカリカチュアに他ならない…!
 …と、そこまではまあ書き過ぎとして。いや、書き始めたら楽しくなってきて、天真よろしく思いっきり突っ走ってみた次第。どちらかというと彼女は、舞台人としての野性的、動物的勘を発揮して、この強烈な役どころを造形したという方が近いような…。名は体を表す。天真みちるの武器は天真爛漫さである。
 天真は中詰の銀橋でも活躍を見せる。蘭乃はな扮するレビューの華を追いかけてくる男役陣ではトリを務めているが、ようはオチ要員、星組「ア ビヤント」“心の名場面”のMVP、美城れんを思い出させる。そして、何しろ追いかける男役陣が多いため、トリまで来ると、先頭はもはや見えず、何だか楽しそうな行列があったからその後ろからついてきてはしゃいでいるだけのような…。そして最後には「さ、行こう!」的なジャンプを決めて去ってゆくのだが、このジャンプが何だかとってもアニメの実写版風。この“アニメ的”こそ、天真の動きにおいて特筆すべき要素である。思えば、「麗しのサブリナ」の使用人チームでも、一人くるくる回転していて、何ともアニメ的な動きに目を奪われずにはいられなかった。そのいささかくどい動きがゆえに、そして、心から楽しそうに舞台に立っている風情ゆえに、一度この人を視界に入れてしまうと目線を外しがたいものがある。見ていて何だかおかしみを誘われ、つい吹き出してしまう。退団公演の別れのさみしさに押し流されそうになったときに特にお勧め。
 「愛のプレリュード」でのメインの役どころはパン屋の店主。パンを盗んだ少年を追いかけて孤児院までやってきて、警察に突き出してやるといきまくが、真飛扮する主人公に出されたお札に目の色変えて飛び付く。アンパンマンとジャムおじさんが合体したような、一見善良そうなパン屋のおじさんでさえ、サンタモニカを襲う不況の風に何とも心すさませているものだ…と思わずにはいられない。ただ、演技的にはまだまだ全然行けると思う。「君は面白ジェンヌを目指すのか、それとも、男役道にも邁進する所存なのか、どっち?」と聞いてみたくなるときもある。役者としてのタイプは全然違うけれども、例えば、星組の美稀千種のように、黒燕尾服を着たらきりり、熱いパッションをはじけさせる一方で、笑いもきっちり取り、笑いの要素以外でも舞台を締める演技ができるようになるといいと思うのだけれど。今回の“心のキャラ”受賞も、追っかけ隊の娘役陣が絶妙にパスを回しての好アシストがあったればこそ。視野を広げ、舞台全体、作品全体における自分の立ち位置を的確に認識した上で芝居心を発揮できるようになれば、舞台に立つことをこよなく楽しむ気持ちがより大勢の観客を巻き込んでいくことになるように思う。
 光り輝く太陽と海のイメージが強いカリフォルニア州サンタモニカを舞台にしながら、どことなくアンニュイなムードを漂わせる「愛のプレリュード」のポスターを初めて見たとき、最初に連想したのが、オーストラリア出身の男性デュオ、サヴェージ・ガーデンの1998年のシングル、「サンタモニカ」という曲でした(1997年のデビュー・アルバム「サヴェージ・ガーデン」に収録)。

冬のサンタモニカじゃ
あくせくせずにのんびり通りを歩くことができる
僕は人ごみへとまぎれこむ
サンタモニカじゃ、散歩道沿いの小粋な店で
コーヒーを飲める
みんな小粋な服装で
どこを向いても、そこら中に美があふれてる
僕は座って考える、ここで何をしているんだろうかと

でも、受話器のこちら側じゃ僕は
何にでもなりたいものになれる
スーパーモデルにだって、ノーマン・メイラーにだって
どうせ君にだって違いはわからない
……それとも……?

サンタモニカじゃ
ジェイクとか、マンディとか
みんな今風の名前
それに今風のスタイル
サンタモニカの大通りじゃ
巧みに身をかわさなきゃ
インラインスケーターたちに突き飛ばされる
こんなにも孤独を感じたことも
こんなにも場違いに感じたこともない
こんなにも何かを強く求めたことも

でも、受話器のこちら側じゃ僕は
何にでもなりたいものになれる
スーパーモデルにだって、ノーマン・メイラーにだって
どうせ君にだって違いはわかりゃしない

受話器のこちら側じゃ僕は
背丈も年齢も思いのまま
バットマンにだって、スペース・インベーダーにだってなれる
どうせ君にだって違いはわかりゃしない
……それとも……?
                                    (対訳:藤本真由)


 ヴォーカル、ダレン・ヘイズの、ときに高音がせつなく響く、靄がかったような街の情景を思わせるけだるい歌唱が、何だかポスターの世界観にぴったりくるなと。実際作品を観劇すると、コーヒーショップでの主人公とヒロインのコーヒー談義まで登場して、おお、という感じ。「でも、受話器のこちら側じゃ僕は/何にでもなりたいものになれる」という箇所も、声色だけでさまざまな役柄を瞬時に演じ分ける真飛聖をどことなく彷彿とさせて、個人的に、この歌は何だか「愛のプレリュード」の裏テーマソングだったりするのでした。
<謎を解き、謎をかけし者に、名刺代わりに詠める――>

記者の喜捨
皇帝の行程
公園の公演
清掃の正装

我が祖父、電信会社に勤むれど
我、伝心の術を祖父には学ばず

記者は皇帝
皇帝は記者
そしていま一人は
汝、そして、愛

大志抱きし者よ
野に満ちよ、されば必ずや
拓かれん
史上稀なる夢の宮殿

花咲き
月輝き
雪舞い
星瞬き
宙晴れる
不思議の宮殿

かつて
指環奪い
鳥料理貪る者ありき
一人は
後から来たる者に隠し
一人は
妻にさえ分け与えず

秘密と鷹追いし者は
二度呼ばれて姿現さず
婚礼の儀に白と水色の衣装

また一人
一度はくず拾いの、
一度は悪役の見習い
歌姫
そして英雄
なれど徴兵に失敗せり

その四夜前はくず拾い
その三夜前は海賊
その二夜前はメキシコの庇護者
その一夜前は記者の父
そして明くる夜に輝くは
汝と志同じう者

今、東の岸にたどり着きし騎士は
王にならんと欲すれば
心の解放が必要なり

記者は帰社
皇帝は肯定
開催は快哉
次の公園にも、期待
 舞台稽古を見学してきましたが、深い! 面白い! そして、これぞあひるの愛する宝塚歌劇! 男役はかっこよく、娘役はかわゆく、芸達者が固め、若手がイキイキ。軽快なダンスシーンに胸をしめつけるせつない歌唱、フェンシング、そして胸躍る素敵なフィナーレもあり。…そうだそうだ、先月の星組青年館公演が宝塚歌劇の舞台たりえていたのは、出演者みんなが愛を尽くしてめちゃめちゃ頑張ったからだぞ〜、ロベール・ルパージュもどきの演出なんて、宝塚でもどこでも観たくないぞ〜…とまあ、違う作品への突っ込みはさておき。さすがは大野拓史、冴え渡るアイディアの妙! 「ロシアン・ブルー」に続く、電信…じゃなかった“伝心”手段、そう来ましたか! 唸らざるを得ない。というか、あひるもあの技で心を伝えてみたい! そして、作品の精神に則ってあひるも叫んでみる!
「北翔海莉は面白くもかっこいい、二枚目男役だ〜!」
 出演者全員がリラックスして、コメディならではの間をより大切に、心から楽しんで作品に臨めば、そしてそこに観客が笑いで合いの手を入れれば、もっともっと舞台がはじけていくこと間違いなし。
 大野拓史がこんなにも深く、強く、そして、明るく、宝塚歌劇を愛しているならば、あひるも力の限り、ついてゆく。たとえ、作中で「あひる」が盛大に絞め殺されていようとも。…あ、鳥の方ですので、念のため。種明かしはこれくらいにして、後は観てのお楽しみ! 「記者と皇帝」の向こうに、宝塚歌劇の未来の希望の光が見えた!