藤本真由オフィシャルブログ

 「番外編はいいから本編を進めろ〜」という声が聞こえてくる気がしないでもないですが、現在あひる脳がヨレヨレ&他の媒体と執筆内容調整中なので、自分の脳に優しい内容でひとまずお送りいたします。
 宮廷の仮面舞踏会にて、桐生園加扮するプリンス・オブ・ウェールズ殿下が、「みんなでスカーレット ピンパーネルごっこをしよう!」とお茶目に提案しているのがとっても楽しそうなので、最近あひるが思いついたものもご紹介したく。

 6月の初め、思うところあって赤坂の山王日枝神社にお参りしたあひる。「この世に心ない舞台が蔓延しませんように。世界の劇場に志高い舞台があふれますように」とお祈りした後、山王橋を降りようとしてはっと気付いた。
「これは、宝塚の大階段を降りる疑似体験をするのに格好の場所では!?」
 というわけで、外堀通りへと降りるあの大きな階段を、背筋伸ばして、下を見ないで、「♪遠国に嵐吹き荒れても僕は見逃しはしない〜」と「ひとかけらの勇気」を胸の中で口ずさみながら降りてみたところ…、きゃ〜、こわい〜〜〜。このまま外堀通りに転げ落ちて車に轢かれたらどうしよう〜と何ともスリリング。しかし、大階段の一段の幅はもっと狭く、皆さん、手にはシャンシャンもって、ヒールだの長い裾のドレスだの着用されていて、トップさんともなれば何十キロもある羽根まで背負っていたりするわけで、すごい技術だなあ…と改めて思った次第。…後で夫に、「一人でそんなアホなことして、落ちてケガでもしたらどうするの!!! 危ない真似はやめて!!!」とさんざん叱られました…(二人でやるならいいのか???)。
 そしてまた別の日。今度は日比谷公会堂に「〜スピリット オブ ハワイ〜ハラウ・オ・ケクヒ」を観に行ったあひる(6日16時の部)。フラダンスの公演ともなれば、観客も圧倒的に女子ばかり、そしてトロピカル&ロハスな感じのいでたちが主流。受付にいた主催某社のK嬢もハワイアンなプリントドレスを着て髪に花をさしていて、とってもプリティな装い。開演前から会場全体、和みムード。そして、公演が始まり、あひるの目を激しくとらえたのは…。
 プリンス・オブ・ウェールズ殿下もまっさおな腹周りの男性ダンサー!!!
 しかしながら、その踊りはといえばキレキレにスピーディー、巨岩がこっち目がけて山肌を落ちて来るような、迫り来る迫力あり。思わず目が釘付けになってしまったあひるの頭に、疑念が一つ…。いったいどうして、この運動量でこの腹周りを保てるの??? ゆるやかに激しく踊るって、実はものすごく体力使いそうな気が…。
 いや、まあ、そうは言っても、何がやせないって、人が踊っているのを来る日も来る日も凝視する人生が一番、やせないよな…と我が身を振り返りつつ、公会堂の二階に上がってみたところ…、日比谷公園の噴水や帝国ホテル、東京宝塚劇場のビルの尖塔が見えるバルコニーが! 今、あひるがバルコニーに昇ってしたいことはただ一つ、“ロベスピエールごっこ”!
 というわけで、ロックコンサートを開催中とおぼしき隣の野音に負けない心意気で、心の中で、越乃リュウのロベスピエールを真似して拳を振り上げてシャウト!!!
「♪革命を否定するものは全て〜っ/粛清しろ 情け容赦はいらな〜いっ」
 ううむ、あひるにゃよくわからんが、上に立って人を見下ろすと、人は何だか自分が偉くなったと勘違いしてしまうのかしら…などと独裁者の心境に思いを馳せつつ、恰好のロケーション(そもそも公会堂自体、政治の場だった建物ですし)で「スカーレット ピンパーネル」ごっこができて、あひるすっきり。何をアホなことを…と思われる向きも多いかもしれませんが、“ごっこ”遊びは演劇の基本、これも作品をより深く理解するため〜と言い訳しつつ…。
 もう二度と完全徹夜で国内出張はすまいと深く心に誓ったあひる38であった…。明け方家を出て、品川始発の新幹線でちょっぴり寝て、宝塚大劇場に着いて、朝取材して、昼観劇して、夜取材して、神戸のホテルでバタンキュー。次の日、お気に入りのテラスで朝ご飯食べて、無事帰ってきました。あ、取材は大変充実&向こうでいろいろな方々にお会いしてお話することができて、楽しい出張でした〜。
 その際、宝塚大劇場にて観劇した宙組公演ですが、天才コスプレイヤー大空祐飛以下、宙組男役陣のりりしい軍服姿に嘆息せずにはいられない「トラファルガー」に続いて、ショー「ファンキー・サンシャイン」、めちゃめちゃおもしろいではないですか! 大空祐飛の無邪気な魅力を太陽にたとえるあたり、なるほどという感じ。オープニングなんて、セットのきらびやかさと蘭寿とむのグラインドだけで刺激が過ぎて、徹夜していたあひるの目、まばゆさでつぶれるかと(笑)。そして、蘭寿が太陽族に扮し、あひるの母の愛唱歌である「太陽の彼方に」(「♪のってけ、のってけ、のってけサーフィン」)を含む懐メロでモンキーダンス等々激しく踊りまくるシーンが、徹夜ハイのあひるのツボに入りまくってしまい、客席の暗闇の中、一人声なき笑いを抑えきれず腹筋が…。その後も、大空祐飛のコスプレ七変化、蘭寿とむの超絶ダンス、北翔海莉の癒し歌唱と見どころ聴きどころ満載。タカラヅカスカイステージを見ていたあひる夫によって“紫吹淳祭り”と命名された、男役陣が腕まくりして大階段に居並ぶ場面も夫より先に堪能〜(家庭内で自慢)。曲調的に、関西より東京で大いに受けそうな。
 <「ベルサイユのばら」5:「エル・アルコン」4:「スカーレット ピンパーネル」1>みたいなブレンドの「トラファルガー」は、様式美に寄るのかミュージカルに寄るのか、それとも不倫の“よろめき”ドラマに寄るのか、何だかとっ散らかってしまった感じがしないでもなく…。ここは、単なる「登場人物が漫画のページからそのまま飛びだしてきたみたい!」を超えて、「漫画のページからそのまま飛びだしてきたみたいな登場人物が、ごく普通に隣にいる人みたいに自然に生きて動いてしゃべってる!」という激しいギャップが観る者の度肝を抜く大空祐飛の持ち味を存分に生かして、「カサブランカ」同様、周囲も含め、大空直伝スーパーナチュラルセリフ回しで徹底してほしいような。そして、大空ネルソンが、いけないと思いつつ不倫相手のヒロインを訪ねてきてしまうシーンで宝塚心のベストワン作品を思い出さずにはいられなかったあひるとしては、「プロヴァンスの碧い空」(も、考えてみれば、まごうことなき“よろめき”なのであった)もブレンドされると、さらに物語に酔えるかな〜、なんて、帰りの新幹線でうたた寝しながら夢見たりしてzzz。東京公演、楽しみにしています!
 月組出身の大空祐飛が宙組トップになり、東京宝塚劇場お正月公演「カサブランカ」でお披露目を果たし、そして、月組では霧矢大夢がトップの座に登り詰めた今年は何だか、お正月から、十年ほど前の月組の舞台を思い出すことが多かった。
 今は宝塚を去った演出家・荻田浩一が「螺旋のオルフェ」で衝撃的なデビューを飾り、異国の地で宝塚の舞台を楽しむという貴重な経験ができた中国公演が行なわれ、そして、私の心の中にほとんど“聖痕”ともいっていいほどの深い刻印を残した「プロヴァンスの碧い空」の初演があったのが、宝塚創立85周年の1999年。演出家・齋藤吉正が大劇場デビュー・ショー「BLUE・MOON・BLUE」で新風を巻き起こし、売り出し中の若手ホープ、霧矢大夢と大和悠河がバウホール作品「更に狂はじ」でダブル主演した2000年。2001年、新装成った東京宝塚劇場のお正月公演では、霧矢が新しい劇場に「今、すみれ花咲く」と第一声を響かせ、当時のトップスター、真琴つばさが退団。夏には紫吹淳がトップお披露目、秋には大空が汐美真帆と共に「血と砂」でバウホールダブル主演した。
 「あれから十年経ったわ」といえば、「螺旋のオルフェ」での夏河ゆらのセリフである。ちょっと本題から外れるが、先月、日本青年館で星組公演「リラの壁の囚人たち」(美城れんが素晴らしかった!)を観て、「螺旋のオルフェ」は「リラの壁の囚人たち」にヒントを得て着想された部分もあったのだなと、今さらながら感慨深かった。そして、「螺旋のオルフェ」の主人公イヴ・ブランシュ(“白”の名字を持つこの主人公を演じていたのは、瀬奈じゅんの前に宝塚を代表する“白”の男役であった、真琴つばさである)が、ナチスのパリ占領司令部にいながらレジスタンスに協力していた…と思い起こせば、大空のお披露目作「カサブランカ」が当然想起され、そして、どうやら主人公がナチスの戦犯を追うらしい雪組次回公演「ロジェ」が楽しみになって来と、追憶と期待がそれこそ螺旋のようにぐるぐる回り、人はこうして宝塚ワールドからどんどん抜け出せなくなってゆくのだなと苦笑せずにはいられない。
 不思議なことに、お披露目公演でのトップスターは、先輩トップスターを彷彿とさせる刹那がある。自分がいざその立場に立ち、客席と向かい合おうとするとき、自分が接してきた先輩にまずはお手本を求める部分があるからなのだろうとも思うが、観ている方としては、はっとしてしまうほど懐かしい感慨にとらわれることがある。
 「カサブランカ」フィナーレでの大空は、それはもう、“紫吹淳”を思わせた。着ていた紅色のベルベットのジャケットからして、紫吹が2004年の退団作「薔薇の封印」のポスターで着ていた衣装に似ていて、そして、娘役陣の波間、しどけなくポケットに手を突っ込んで揺れる仕草があまりにも“紫吹淳”で、「薔薇の封印」で紫吹が演じた役柄が時を超えて生きるヴァンパイアだっただけに、もしかして今、何か甦ったのかしら…と戦慄しそうなほどだった。無論、大空は何も紫吹のコピーであるわけではない。“黒”の洒脱な男役を継ぐ者として、歴史に新たなページを刻み始めた存在である。二次元的、デジタル的、脅威的なビジュアルの持ち主が、個性的な面々とリアルな心情に満ちた芝居を展開するギャップの醍醐味、それが、大空率いる今の宙組の見どころなのだが、詳しくは今度、宙組を論じるときにさせていただきたい。それにしても、宙組は、初代トップスター姿月あさと、そして大空の前の大和も月組出身であるのが非常に興味深いところである。
 一方、一人残って月組を継いだ霧矢はといえば、二月の中日劇場公演「Heat on Beat!」の中詰めを観ていたとき、個性が全然違うため、今まで連想して考えたことがまったくなかったにもかかわらず、トップとしての在り方が真琴つばさを想起させた瞬間があって、驚いた。そして何だか、新生月組が、十年前、それこそ、大空や霧矢が若手としてバリバリ活躍していた頃の月組をあまりに思わせて、これまた本当に懐かしかったのである。

 真琴時代の月組は、宝塚における組組織の一つの理想形だったのではないか−−。それが、彼女が退団して後、宝塚歌劇について改めてじっくりと考えて達した結論だった。組全体に目配りをし、組子一人一人の力を見極めて引き出し、これを一点に集結させたときに初めて、組として発揮できるパワーは最高潮に達する。トップスターばかりに負担がかかったり、あるいは、支える者ばかりに負担がかかったりする状態では難しいものがあるのである。
 真琴つばさというスターは、組全体のプロデュース能力にきわめて優れた人だった。組子それぞれからユニークな魅力と個性を引き出し、それを“白”の男役である自分が映し出すことによって、月組全体の魅力がさらに増して輝くことをよく知っていた。だから、あの頃の月組の舞台は、特に傑作ばかりに恵まれていなくても、組子それぞれの活躍を観ているだけで、本当におもしろかった。トップに相手役、路線スター、ベテランに中堅どころ、若手男役、若手娘役、それぞれ個性派揃いだった。宝塚における実績は何もトップスターに登り詰めたかどうかだけで必ずしも測られるものではないけれども、この時代に出てきた若手が、男役、娘役共々、力を蓄え、個性を発揮した結果、後にどれだけトップの座に就いたかを考えてみれば、真琴時代の月組の充実ぶりがわかってもらえると思う。
 そして、私は思うに至ったのだった。何も宝塚歌劇のトップスターに限らない。人とは、そのとき何を成し遂げたかだけではなく、自らが去った後に何を残していったかによってもまた、評価されるものなのだと。
 大空、そして、霧矢のお披露目公演を観ていて、二人の中に、私と同じ、あの頃の月組への強い想いがあったことに、2010年の私は、今さらながらはっとしたのである。――大空と霧矢にしてみれば、今さら何を? という話かもしれないけれども。そして、私は、何だか不思議な願いを心に抱いたのである。十年前にタイムスリップして、月組の舞台で、若さのエネルギーを放出している二人に、こう、言葉を掛けたいと――。
「あなたたちは十年後、こんなに素敵なトップスターになるんだよ!」
 無論、私がそんなことを言って励まさなくても、二人は自力で素敵なトップスターになってしまったわけであるから、あまりに意味不明でお節介な話ではあるのだが。
 そして、何もタイムスリップしなくても、その言葉は今、発するべきなのである。二人の後ろで一心に踊っている、今はまだ見えぬ、輝かしい未来を背負った組子に向けて。
「あなたたちは十年後、こんなに素敵なトップスターになるんだよ!」

 中日劇場公演、続く今回の公演と観ていて、新生月組では今、さまざまな個性の芽が開こうとしているのを感じずにはいられない。そもそも、新生月組が「スカーレット ピンパーネル」の再演に挑むと発表されたとき、一部で危ぶむ声を聞かないでもなかったのも事実である。例えば、私も初演の際、“心の名場面”キューティー編に選んだ、星組の若手娘役陣がキュートな個性をいかんなく発揮して活躍したあの場面、月組版では大丈夫かしら――等々。
 スタート時点では、比べて考える方が無理というものである。なぜなら、前回大劇場公演まで、月組にはトップ娘役がおらず、それに従って明確な新人公演ヒロインもなく、「この人が芯」という存在を設定できないがために、そもそも娘役に活躍の場を与えることが非常に難しかったのだから。もっとも、月組生には負担の大きかったであろう、トップ娘役不在というある種の“実験”は、瀬奈じゅんという男役がその“白”の個性を究極まで突き詰める上で不可欠であったこと、そして、宝塚歌劇における娘役、トップコンビの存在意義を改めて考えさせる上で、貴重な機会ではあったと私は思っている。それはさておき、いざ、「スカーレット ピンパーネル」が回ってきて、挑んでみたら――、大丈夫なのである。霧矢大夢の個性によって“ザッツ・ミュージカル!”なシーンへと変貌を遂げたこの場面ではあるが、宝塚大劇場での一ヵ月を経て、東京公演では、娘役一人一人が個性を発揮できるようになってきたのである。
 また、龍真咲と明日海りお、二人の若手ホープが役替わりで演じるショーヴラン。龍は、ヘタレなセクシーという魅力を開花させて悪の新機軸を打ち出し、一方の明日海は、「エリザベート」のトートと「エル・アルコン」のティリアン・パーシモンを足したような、骨太な男っぽさと妖しい悪の魅力を発揮している。詳しくはまた、公演がさらに進んでから項を改めたいけれども、チャンスを与えればきっちりものにしてくる人材が多い、それが宝塚歌劇の強みなのである。
 私が「スカーレット ピンパーネル」という宝塚作品が好きなのは、この醍醐味があるからである。トップスターから最下級生まで、一人一人が持てる力を存分に発揮しないと作品として成立しないけれども、一旦それが可能となれば、見どころたっぷりの場面が次から次へと波状攻撃で押し寄せてきて、瞬きする間さえ惜しい。本来、そういう作品こそ、宝塚歌劇にふさわしいのである。
 脱帽! の前に、帽子をかぶった話をしておくべきでした。
 二年前の初演を初めて観たとき、一幕が終わった瞬間、「凄い! 楽しい!」という想いと共に、あひるの頭にあったこと。
 パーシーの帽子が欲しい!
 男もお洒落をしなくては! と楽しげに歌い踊るナンバーで、パーシーがそれは自慢気にかぶっている、ピンクの羽根がついたしまうま柄の帽子。あひるもあんな帽子をかぶって、舞踏会に行ってみたい!(一体、現代日本のどこでやっているというんだ…)
 行くべき場所は一つしかない。「たのも〜」という気持ちで、神戸はトアロードにある、世界で一番好きな帽子屋に急ぐあひる。そこにははたして、パーシーのしまうま帽と張り合えるアイテムがあった…!
 大きなつばの白い帽子。ラベンダー色のベールがつばを一周して、長く腰のあたりまで垂れ下がっている。つばの上、三色の大きな花の隣には蝶々があしらわれていて、何と、歩くとびよーんびよーんと動くのである!
 これならパーシーと勝負しても勝てるかも! …しかし、一体どこでかぶったらいいのか、それが問題だった。考えられるのはガーデン・ウェディングくらいしかなかったけれども、当時、周囲にガーデン・ウェディングを挙げるような友達はおらず、まさか、自分がいまさら挙げるというわけにもいくまい。聞けば、その帽子を試しにかぶった中で似合ったのは、あひるともう一人、わずかに二人だったという。そしてそのマダムも、自分の住んでいる街ではどう考えても浮いてしまう…とおっしゃっていたとか。そこまで言われると、もうあひるが買うしかないのでは? と男前な決断を下そうとするあひる。だが、買うだけ買って家に飾っておくには、ちと値が張り過ぎた。お洒落ってつまりは洒落、洒落でしまうま帽だの衣装だの買えるパーシーの財力がつくづくうらやましい…と思いつつ、あひるはその帽子をあきらめたのだった。
 あの帽子どうなったかな、誰か買う人いたのかな…と何となく心の隅にあったこの二年。そして観た今回の月組版。今度のパーシーは何と、ラベンダー色に白とラベンダーの羽根のついた帽子をかぶっているではないか! これはもう、初めての印税であの蝶々の帽子を買うべし! というお告げかもしれないと思い、またもやトアロードに飛んでいったあひる。…しかし、例の帽子は展示用の品となって、お店から姿を消していたのだった。残念。
 しかしながら、お店の方と、ひょんなことから宝塚談義。
「前におもしろいっておっしゃっていた『スカーレット ピンパーネル』、今回初めて観ることができたんです。舞台も素晴らしかったし、帽子も衣装もそれは手が込んでいて、思わずじっくり眺めてしまいました」
「主人公のかぶっている帽子、凄くなかったですか? 実は、今回の舞台を観て、蝶々の帽子、やっぱり買おうかなと思ったんです。初演のときから、パーシーの帽子に張り合えるのは、あの蝶々の帽子しかない! と思って」
「まあ、うちの帽子で張り合おうと思ってくださったなんてうれしい! 実は、今回、舞台を拝見して、思ったことがあったんですよ。宝塚はお客様に素晴らしい夢を見せている、うちのお店も、お客様に夢を見せる帽子を創っていかなくてはって。あの蝶々の帽子のように」
 …というわけで、トアロードに面した素敵なウィンドウに、パーシーのしまうま帽に対抗できる帽子がまた並ぶ日も遠くはないかと。そしてあひるは、街中でもかぶれる、ちょっと他では見当たらない感じの夏の新作帽子を手に入れたのであった! しまうま帽に勝てるかは? だけど、パーシーに見せたら一体、何て言うかしら。
 4日の初日前の舞台稽古を見学。舞台稽古なのについ抑えきれずに泣き笑い。各ナンバー終わりの拍手など、舞台稽古ということで、いつもは控えめなところ、今日はもう、集まった取材陣も相当本気で拍手していて、それだけ舞台の完成度が高い証拠。終演後の囲み会見でも、主人公パーシバル・ブレイクニーを演じる月組新トップスター、霧矢大夢さんから、「気負いはまったくありません。自信をもって、月組ならではの作品を、心をこめてお届けしたい」とのコメントが。質問に答えながら、相手役の蒼乃夕妃さんの方をしばしば見やっていて、その視線に蒼乃さんが終始ニコニコと笑顔で応えていたのが印象的でした。

 実は、大劇場公演中、夫の実家に帰省した際、公演を観る機会があったのだけれども、……それはもう、度肝を抜かれてしまった。トップお披露目公演からこの完成度で来るんだ! と、あまりの衝撃に呆然としてしまったほど。
 二年前、星組による初演は衝撃的だった。宝塚の歴史に残る作品が誕生した! と思わずにはいられなかった。けれども、再演月組版の衝撃は、それをさらに上回るものだった。わずか二年で、宝塚歌劇はここまで革新されてしまったのだ…と、その評論に携わる者として、これ以上なく幸せに思った。
 星組版が海外ミュージカルの巧みな宝塚化だとするならば、今回の月組版の最大の特色は、宝塚版ならではの美点を保ちつつ、いま一度、海外ミュージカルの線に押し戻した点にある。その最大の原動力が、月組新トップスター、霧矢大夢の存在であることは言うまでもない。霧矢といえば、これまでにも、「エリザベート」や「ガイズ&ドールズ」等、海外ミュージカル作品で数々の名演を披露してきたことでもわかるように、海外ミュージカル通として知られているスターである。音楽性。セリフや笑いの間合い。ダンスシーンの物語り方。彼女が浴びるように観、自らの内に取り込んできたのであろう海外ミュージカル作品のエッセンスが、トップスターという立場で取り組んだ月組版「スカーレット ピンパーネル」に、見事なまでに生かされている。そのことに、私は衝撃を受けたのである。
 公演を観ていて、そして、今日も囲み会見でトップお披露目の意気込みなど聞いていて、霧矢自身の中で、これがトップお披露目公演なんだ…という意識よりも、大好きな海外ミュージカル作品の世界を思うがままに創り上げられる表現者としての喜びの方が大きいようで、何だか観る側ばかりが「この人がトップになる日が来たんだ…!」という感慨をもってスタンバイしていたように思えて、何だかおかしくなってしまったのだった。何しろ、お祝いムードの中心たるべき人物が、「感慨にひたるよりむしろ、月組一丸となって創り上げた『スカーレット ピンパーネル』に心ゆくまでひたって!」とばかり、凄まじいパワーで、華麗なるミュージカルの世界に引き込んでゆくのだから。
 そして、霧矢がこの作品において披露しているパフォーマンスが、初演の星組版に対する冷静な評論となり得ていることに思い至って、私は自らの言論をも振り返らずにはいられなかったのである。初演の際、宝塚歌劇の世界にあまりにもぴったりとくる作品の誕生を祝うあまり、私は多少、浮かれてはいなかっただろうか――と。そんな自省をもって、これからの一ヵ月、今の私が捉えた月組版「スカーレット ピンパーネル」をしたためてゆきたいと思う。初演版の主演、安蘭けいが、トッププレお披露目作「ヘイズ・コード」で始めた“心が動く、熱い舞台”が、星組版「スカーレット ピンパーネル」で一つの到達点を迎えたとするならば、月組版「スカーレット ピンパーネル」で霧矢大夢が始めた革新の最初のキーワードは、宝塚の基本精神“清く正しく美しく”の第二テーゼ、“正しく”である。
 一月の花組東京特別公演「相棒」についてなかなか書くことができなかったのは、“桜乃彩音”という存在について考えていたら、どんどんおもしろくなってきてしまったからである。思うに彼女は、非常に独特な、桜乃彩音にしか可能とはならなかったであろう手法で、娘役の新たな地平を拓いた存在だった。
 彼女はまず花組前トップスター、春野寿美礼の相手役として娘役トップに就任した。そのころ、すでにトップとして円熟期にさしかかっていた春野はといえば、男役という実体存在を超えて、ほとんど抽象概念と化して宝塚の舞台に存在していた。雲の上、遥か上空の彼方、「そうですね、人は孤独ですね……。でも、だからこそ人に優しくなれるし、優しさがひときわ心に沁みますね……」とばかりに春野の微笑みが浮かんでいて、その春野に向かって、「もしも地上に降りてくるなら、ここに降りてきてくださいね〜」とばかりにいつまでもいつまでもけなげに手を振り続ける、そのようにして春野とこの世界とをつなぎとめていた存在、それが、娘役トップ初期の頃の桜乃彩音だった。抽象概念に寄りそうには抽象概念とならざるを得ない。だが、この世界との接点を持ち続ける上では実体を保たねばならない。桜乃はまず、実体を保ちつつ抽象概念と化すこのオペレーションに極めて優れていた。春野との相性はほとんどマジカルとさえ言えた。
 春野トップ時代の桜乃が演じた中で、役柄として私が一番好きなのは、「明智小五郎の事件簿−黒蜥蜴」で扮した黒蜥蜴こと緑川夫人である。黒蜥蜴が実は明智小五郎の妹だった!? という、観る者を驚愕させずにはおかない作品設定はさておき、名探偵を手玉に取る美貌の女賊に扮した彼女の舞台には凄みがあり、その声にはぞくりとさせる色気があった。しかし、この作品をきっかけに、その後長らく桜乃は“妹キャラ”として親しまれるようになり、その手の役柄が相次いで回ってきた。その二作後の大劇場公演、真飛聖のトップお披露目作「愛と死のアラビア」でも然り。それだけ、彼女の演じる“妹キャラ”には強烈なインパクトがあったのである。ほとんど、“聖なる妹”とでも呼べるような。
 しかし、黒蜥蜴役で強烈な印象を放ったように、彼女には“奔放な姉”ともいうべき、もう一つの顔があった。その一面は、春野の次に組んだ真飛によって引き出されることとなった。「愛と死のアラビア」と併演のショー「Red Hot Sea」のフィナーレでは、真飛と二人、デュエットダンスで大階段に並んだ姿が、黒塗りということもあってか、実体をもった男と女として、ワイルドな風味さえあって、度肝を抜かれたものである。それは言うなれば、宝塚退団後、ロンドン・ミュージカル「マルグリット」タイトルロールで女優に転身した春野寿美礼が、ほとんど抽象概念と化した男役からいきなり、生々しくもヴィヴィッドで濃厚な人生を背負った女優として立ち現われ、観客の度肝を抜いたのと似ていた。おもしろいものである。抽象概念として組み合い、心に残る舞台を見せた二人はそれぞれ、別の相手と組んだとき、実体としても実に興味深い存在となり得たのだから。
 「太王四神記」で演じた巫女のキハも、神秘的なたたずまいが独特の声色のうちによく表現されて魅力的だったが、真飛&桜乃コンビの代表作としては、文句なしに「相棒」を挙げたい。ドラマ版で水谷豊扮する杉下右京を演じて舞台の要を見事に務めた真飛を相手に、桜乃はアメリカ人ピアニスト・パリスを演じた。このヒロインというのが、“奔放な姉”の極致と言おうか、宝塚の娘役トップが通常ほとんど演じないような、実にクセのある女性だった。なんといっても、自分の聴覚を奪った夫を憎むあまり、その命をわが手にかけんと夢想する様を演じて見せる役どころなのである! 防毒マスクを身につけ、バスルームでの殺人トリックを着々と遂行するヒロイン……。いくら夢想とはいえ、宝塚の娘役、それも娘役トップが演じるにはあまり例を見ない役柄を、桜乃は、憎しみを抱く存在の中にも“清く正しく美しく”の心をゆるぎなく信じる演技で造形してみせた。パリスは結局、真飛演じる右京に諭され、憎しみを赦しに変えて改心する、つまりは、“奔放な姉”から“聖なる妹”へと着地するのだが、なるほど、トップコンビが手に手を取り合って実現する“清く正しく美しく”にもさまざまな手法があるのであって、なかでも今回はとりわけ斬新だったな、真飛&桜乃、素敵な相棒! と思ったものである。
 その「相棒」で改めて気づかされたことがある。“聖なる妹”と“奔放な姉”を行き来し、これを一人の人物の中にしっかりと両立させる上で、桜乃彩音の最大の武器はその声である。ほわっと相手を包み込む声と、ぞくりと背筋を凍らせる凄みをもった声と。その巧みな使い分けで、彼女は内なる二つの顔を見せた。そうして、娘役の地平に、宝塚歌劇に、新たな地平をもたらしたのである。
 退団作「虞美人」では桜乃はタイトルロールに扮した。自分が溶けてなくなるまで男に尽くして尽くして尽くして尽くす……という、何ともアナクロなナンバーが????? だったが(白井鐡造の手による往年の名作にはない歌ときく)、桜乃彩音という、自分というものをしっかりともった娘役によって歌われれば、そのアナクロニズムはどこか中和されるのだった。今回の作品設定はさておき、虞美人に扮した桜乃は、美しかった。「太王四神記」でもそうだったが、アジアもののコスチューム・プレイが真飛共々実に似合う人だった。そして、“聖なる妹”と“奔放な姉”は、彼女の中で矛盾なく溶け合っていた――。

 桜乃さんに一対一で取材したのは、春野さんの退団の頃だったから、随分前のことになる。舞台上で春野さんの創り出す空気に包みこまれているように思えるときがある――と語る彼女に、でも、桜乃さんの創り出す空気に春野さんが包み込まれているように見えるときもありますよ、と言うと、彼女はほわっとあの微笑みをした。その瞬間、やはり自分がその微笑みのうちに包み込まれるような心持ちがしたのを覚えている。
 「虞美人」の初日前の囲み取材では真飛さんと二人そろって登場してくれた。真飛さんが自ら、「のろけみたい」と突っ込むほど、お互いの魅力をたっぷりと、でも嫌みになることなく答え合っていて、写真撮影では、真飛さんがいきなり桜乃さんの肩をがしっと抱いて、それが何とも男前で、素敵だった。それは決して、二人の仲の良さをベタベタとアピールしてみせる仕草ではなかった。トップコンビとして宝塚の舞台上に愛を描き出す二人がそれだけ信頼感で結ばれていたこと、そして、そんな相手役と務める舞台もこれが最後――という一抹のさみしさが、あの男前な仕草に現れていたような気がしてならない。

 二人のトップスター相手に、それぞれ異なる魅力的な顔を見せて、娘役・桜乃彩音は本日5月30日をもって宝塚を去る。どこの場にあっても、これからも、あの微笑みは、あの声は、接する相手をほわっと包み込んでゆくことだろう――。
 本日、4月25日をもって、雪組の彩吹真央が宝塚を去る。その男役像が宝塚の舞台にどのような新たな可能性をもたらすのか、もう考えることができないのが本当にさみしい。
 思うに、彩吹の男役像は今の宝塚には新しすぎたのではないだろうか。彩吹真央は、ヘタレ、草食系男子をこの上なく魅力的に体現できる男役だった。退団公演「ソルフェリーノの夜明け」で演じた、「女は強い愛を求めているものだ」と先輩医師に諭されてもなお、使命に燃える恋人を戦場での危険な任務に送り出す医師エクトールは、その集大成ともいえる役柄である。男役芸ができなくて結果的にヘタレにしか見えないことと、ヘタレを男役芸のうちに見せることとは本質的にまったく異なる。“ヘタレ”という言葉を、男役芸を身につけていない者の言い訳に貶めてはならない。そのことを、宝塚の舞台で身をもって証明していたのが、男役・彩吹真央だったと思う。
 「ファントム」のキャリエール、「エリザベート」のフランツ・ヨーゼフ、名舞台の記憶の中の彩吹は何だかいつもヘタレていたな…と振り返って、昔からそうではなかったことに気づく。2000年、花組時代の「ルートヴィヒU世」の新人公演で、彩吹はタイトルロールを演じた。美しいもの、芸術をこよなく愛し、その愛ゆえに身を滅ぼすこととなる“ヘタレ”なバイエルン国王。その主題歌「夢の果てに」を、劇中、彩吹は朗々かつ堂々と歌い上げてしまっていて、歌の上手い人だから技術的には申し分なかったのだけれども、キャラクターの表現としては多少の違和感があったことを覚えている。そのときはまだ、“ヘタレ”という言葉が自分自身の日常的な語彙の中になかったわけだが、それから10年、彩吹は表現として獲得した“ヘタレ”を堂々と披露するという、ある種の矛盾を男役芸へと昇華させた。
 「オペラ座の怪人」の別バージョン、「ファントム」で、すべての不幸の元凶となっているのはキャリエールの人間的弱さである。キャリエールが歌姫と不義の恋に落ち、堕胎しようとした彼女からその薬を半分奪い取ったがために、“ファントム”はこの世に誕生した。オペラ座に引きこもり、横暴の限りを尽くすファントム=我が子エリックに対し、父キャリエールは毅然とした振る舞いに出ることができない(このあたりの男性像もとんでもなく今日的ではある)。「自分はなぜこの世に生まれ出て、このような不幸を背負ってまで生きていかねばならないのか」というエリックの疑念に、キャリエールは答えられない。エリックのその疑念が晴れるのは、彼自身がクリスティーヌと出会い、愛し愛されることの喜びを知ることで、自分がこの世に生まれ出たのも、それと同じ愛の喜びを父と母とが共有していたからだと理解してのことだ。我が子エリックを自分の手にかけることで、ようやく父親としての愛と責務を果たすキャリエール。宝塚の舞台では実に共感を誘いにくい役どころだが、彩吹は、ああ、こんなに優しすぎる人だったらそういう悲しい展開になってしまってもしょうがないのかもしれないな…と思わせる好演を見せていて、深い内面理解に基づいて主人公エリックを演じた春野寿美礼と二人、難しい作品から見事宝塚の“清く、正しく、美しく”の精神を引き出してみせた。春野と彩吹、名歌手の二人が銀橋で歌った、音楽への愛によって結ばれた父子の深い絆と赦しの歌は、今も心に残っている。
 水夏希の雪組トップお披露目作「エリザベート」は、死=トートを喚起するところのエリザベートの絶望と孤独がいっさい表現されていないというところで非常に残念な作品ではあったが(水夏希のトートがどんなに魅力的な演技を披露しようと、トートが出てくる必然性がそもそも見当たらないのだから、いかんともしがたいものがあった)、皇帝フランツ・ヨーゼフを演じた彩吹と、その母である皇太后ゾフィーに扮した未来優希の二人が、秀逸な演技と歌唱力で作品世界を大いに支えていた。彩吹と同じこの日、惜しくも宝塚を去る未来だが、ゾフィー役では、その嫌味なまでの強さを弱さの裏返しと見せる演技を披露していた。自分も含め、人間は弱い。弱いから、厳しい規律を作り、これを守ることで強くあらねばならない。皇帝である我が子は、人一倍強くなくてはならない――。そしてまた、彩吹演じるフランツが、ゾフィーが心配するのもしかたがないなと思うほどに、優しくて弱いのである。ゾフィーとフランツの親子関係に、“弱さ”を基調とした一本の筋が明確に通ることで、王位及びそのシステムを守ろうとする者の配慮と、その配慮に対して無理解、無頓着な者=エリザベートとの対立構造が鮮やかになっていた。ウィーン版と違って、ゾフィーが心情を吐露するソロは宝塚版にはないが、それでも、このときの未来の演技には、ゾフィーという人間像に対し大いに共感を誘うものがあった。
 ここで未来優希という役者についてふれておくと、その芸名にある一字が指し示すように、おそらく非常に優しい人なのだろうと思う。だから、悪役や強さが求められる役等においては、ときに、必要以上に強すぎる表現を選択するきらいがあったが、退団公演の二作品においては、肩の力が抜けた的確な演技と歌唱で見事、有終の美を飾った。「ソルフェリーノの夜明け」の最大のクライマックスは、水夏希扮するアンリー・デュナンと、未来演じるマンフレッド・ファンティの戦場での緊迫感あふれるやりとりであることは言を俟たない。「Carnevale睡夢」での未来の「星は光りぬ」等の歌唱は、かつての名作「パッサージュ」でのキーパーソン的活躍を思い出させる絶唱だった。

 彩吹の代表作の一つであり、私自身も大好きな作品が、2007年の主演作「シルバー・ローズ・クロニクル」である。この作品は実は、宝塚歌劇の新たな可能性を拓く大きな意義をもつものだったと思う。
 このとき彩吹が演じた主人公は怪奇映画オタクの青年エリオットで、途中まで、メガネ姿もあか抜けない服装で登場する(勤務時間終了時、それまで着用していた小さな肘あてを細かく細かくたたむことで、主人公の几帳面さ、律義さを表現していた姿が忘れられない)。そのエリオットが、恋を知り、彼女に好かれたい! との一心で、りりしい姿、つまりは宝塚の男役のスタンダードな姿になって現れるシーンがあるのだが、その“変身”の瞬間に、私が宝塚歌劇に見る夢とは、つまりはこういうことだ…と、目が拓かれる思いがしたのである。
 私にとって宝塚歌劇は、決して、見目麗しい男女の恋物語ばかりを上演するところではない。どんな人間の中にも“清く、正しく、美しく”あるものを、華やかに、宝塚歌劇でしか堪能することのできない圧倒的なビジュアルでもって見せてくれるところである。男役、娘役が見た目の美しさを追求するのは、究極的には、内面の美しさを表現するためであるのだと私は考えている。美は普遍である。個々人の好みを超えて、普遍である美を獲得することによって、より多くの人間の心に通じる物語が表現できる。
 ダサいオタクから麗しい青年へと変身した彩吹真央の姿に、私はそんな考えを非常に強く再認識したのである。一見、美とはかけ離れたところに存在するかのように見える人物の中にも、“清く、正しく、美しく”あるものを表現すること。宝塚歌劇の基本指針を再確認させてくれたからこそ、彩吹主演の「シルバー・ローズ・クロニクル」は私にとって大切な作品なのである。
 このときヒロインであるヴァンパイアの少女アナベルに扮していたのが、彩吹と時を同じうして宝塚を去る大月さゆである。このときの、娘役トップに就任する前の映美くららを思わせる芸達者ぶりには期待を抱かせるものがあっただけに、やはり退団は残念でならない。昨年末の雪組特別公演「雪景色」でも、ヒロインこそ演じていなかったものの、大月は、専科の汝鳥伶に続く演技力と存在感で作品をピリリと引き締めていた。
 「シルバー・ローズ・クロニクル」は登場人物それぞれが個性的で、それを演じる出演者もみな生き生きとしていたという意味でも評価に値する佳作だったが、このときの“心のキャラ”は、昨年退団してしまった葵吹雪が演じた歴史オタクの青年ダニエルである。幾分ぽっちゃりとした彼女が腰をふりふりゆるゆる一回転する様は超絶爆笑ものだった。残っていれば、雪組にとってどんなにか戦力になっただろうに…と思うと、これまた非常に残念である。

 10代から20代半ばにかけて、ボーイズ・アイドル・グループの研究に勤しんでいた私にとって、雪組男役スター5人による「AQUA5」の結成は、「宝塚に初めて“ボーイズ・アイドル・グループ”が誕生した!」とうれしくなってしまうものがあった。実際、AQUA5の楽曲は、正統派ボーイズ・アイドル路線に則っていたと思うのだが、AQUA5をボーイズ・アイドル・グループたらしめていたのは、彩吹真央の永遠の少年性に依るところ大だったと思う。六本木ヒルズアリーナで行われたスペシャルライブの後の囲み取材で、感極まってか、六本木ヒルズを見上げて遠く潤んだ眼をしている彩吹に、何だかデビュー時から応援してきたグループが大きなハコに進出したときのうれしさにも似た想いを覚えたものである。

 彩吹さんには何度も取材をする機会に恵まれたが、なかでも忘れられないのは、雪組の「エリザベート」公演前のインタビューである。全国ツアー公演の稽古がかなり押し、最終の東京行きのぞみに乗れるかどうか…という瀬戸際での取材になってしまったのだが、長引いた稽古でお疲れだろうに、「早口でしゃべります」と言って、それは内容の濃い話を短時間で熱っぽく語ってくれた。「エリザベート」という作品を三度経験しているだけあって、作品世界についても非常にディテールに富んだ示唆深い話をしてくれて、思わず、「『エリザベート』博士みたいですね」と感想を述べてしまったものだ。おそらくその一年くらい後のことだったと思うが、また取材の機会があったとき、「今の雪組はとってもいい雰囲気なんですよ!」とこれまた熱っぽく語ってくれた姿も強く印象に残っている。

 さて、彩吹真央の退団で、雪組トップスター水夏希は、6月から始まる自身の退団公演を、この上なく頼もしい二番手なしに務めることとなった。
 その水夏希に、私は敢えてお願いがある。これまで彩吹と二人、創り上げてきた雪組の舞台の素晴らしさ、美しさを、誰より、客席の彩吹真央に見せてあげてほしいのである。彩吹真央が16年間過ごしてきた宝塚歌劇の舞台がどんなに美しい夢を見せる場所であるか、彩吹自身がどんなに美しい夢を観客に見せ続けてきてくれたか、それを誰より、彩吹に見せ、信じさせてあげてほしいのである。そのとき、男役・水夏希の宝塚歌劇における使命は一段と高いレベルで達成、完結されることになるだろうと思うのである。夢を信じる力、その夢を人に信じさせる力の強い人だから、きっと大丈夫だと確信しているけれども。
 そして、彩吹真央がこれまで綴ってきた男役の歴史のページは、決して途切れるものではない。大空祐飛がトップお披露目作品「カサブランカ」で“黒”の男役の系譜に新たなページを拓いたように、彩吹真央が創り上げてきた“ヘタレ”の男役の系譜もまた、いつ誰が新たに書き進め始めるかわからない。そのとき、彩吹真央の男役像は確かに時代に早すぎたのだと、私は再確認することになるのだと思う。彩吹自身が「RIO DE BRAVO!!」で、そして、自身のさよならショーで歌ったように、「僕らがつけた足跡は/きっと誰かが踏みしめる」はずである――。
 無事なのですが日々の寒暖の激しさに気力も乱高下状態のあひるです。…そして、本当に本当に申し訳ないのですが、今ここで踏ん張らねば、来月再来月の楽しい公演のプログラムが出ないかも〜な状態になっており…。ブログ更新ができなくてすみませぬ…。「あんたがぼーっとしている間に、感銘を受けたいろんな公演がとっくに終わっちまったぜ!」と今、脳内ルキーニがあひるを激しく責め立てております…。
 ということで、宙組の「カサブランカ」のときと似たような展開になっていて本当に申し訳ないのですが、明日、千秋楽を迎える雪組公演「ソルフェリーノの夜明け/Carnevale睡夢」については送る人最優先とさせていただきたく。そして、某国民的アニメの次週予告めいた予告をお送りすることにすると(そういえばあひる、木曜日も財布を持たずに観劇に出かけて、危うく無銭飲食しそうだったんだった)、
*水夏希のアンリー・デュナンに思う、大学時代の恩師“鴨武彦先生”
*発見! 愛原実花は“白”の娘役
*音月桂&緒月当麻&早霧せいなの活躍に予感、今後の雪組の展開は“世にも男くさい組”
*番外編:「ロシアン・ブルー」に続く、雪組公演によるあひるの世界紀行第二弾「ヴェネツィアの想い出」
 そして来週からは花組東京公演が始まりますが、花組「相棒」も決して忘れてはおりませぬ〜。…何か完璧、一ヵ月公演になってからあひるの思考&更新スピードがついていけてない気がする…。フンガフッフ(まだ土曜日ですけど)(しかし、あひるさんもたいがい、古いな)。
 昨年の秋のある日のこと。迫り来る原稿の締切を頭の片隅に追いやって、あひるは劇場の客席にいた。宝塚雪組全国ツアー「情熱のバルセロナ/RIO DE BRAVO!!」観劇のためである。熱に浮かされたように愛のためだけに生きる「情熱のバルセロナ」の主人公フランシスコをさわやかにまっすぐに体現する水夏希の演技に、かつて彼女がバウ初主演で好演した「ロミオとジュリエット’99」のロミオがあざやかに思い出された――十年の歳月を経て、マントさばきは格段にレベルアップしていたけれども。最近つくづく思うことなのだけれども、トップにまで登りつめたスターが、男役として成熟を見せ、それでいて、下級生時代からの魅力をもそのままに保っているのを観ると、何だかほっとする。年月を経ても、その人の中の良き部分は決して損なわれることはなかったのだな、と思って。そして、十年前の花組時代のその舞台でも、彩吹真央の存在が舞台を引き締めていたことを思い出した。ホレーシオ役がよければそれだけ「ハムレット」がおもしろくなるように、「ロミオとジュリエット」ではマーキューシオ役の占める割合は大きい。彩吹扮するマーキューシオの溌剌としてキュートな踊りは、今もときどき頭の中で再生される。その彩吹は「情熱のバルセロナ」では、愛する女性をひたむきに見守るルイス伯爵として、大人の男性のたたずまいを見せていた。そして、ロザリア役の愛原実花の清潔感に満ちた声と美しいドレスの着こなしに(白地にピンクの薔薇が飾られたドレスがなかでもかわいくて、似合っていた)、ヒロイン向きなんだな…と改めて感じたものである。
 そして、休憩を挟んで、ショー「RIO DE BRAVO!!」。東京宝塚劇場公演のときのように中詰で楽しくポンポンを振った後、「そういえば、滝壺に飛び込んでいた“イグアスの滝”のシーン、全国ツアーでは舞台装置的にどう変えるんだろう」と考えながら舞台を見守っていたところ、――耳に飛び込んできた音楽に、驚きのあまり、はっと声を上げそうになってあわてて両手で口を抑えた。砂漠を彷徨う戦士と、妖艶な赤い花と蛇が織りなす、斎藤吉正大劇場デビュー作「BLUE MOON BLUE」の、幻のように鮮烈なあの場面。2000年の月組公演で真琴つばさが演じた戦士をこのたびは水が、紫吹淳(東京では初風緑)が踊った蛇を彩吹が、檀れいが扮した赤い花を愛原が演じている。初演版より腕を出してバリバリ踊る仕様になった赤い花の愛原と、奇抜な衣装に身を包んで妖しい踊りを繰り広げる蛇の彩吹に挟まれ、翻弄されて、戦士役の水が清冽な色気を放つ。場面への導入を務める黄色い蝶を踊るのがセクシーキュートな花帆杏奈という配役もドンピシャで、もう二度と生で観ることはないと思っていた場面の再現に、身体全体に湧き上がるような熱を感じて、あひる大興奮。公演が終わるなり、一緒に観ていた夫に、「戦士が! 蛇が! 赤い花が!」と、文章にならない叫びをぶつけたところ、返ってきた答えはと言えば……、
「あそこの歌、全部一緒に歌っちゃった!!!」(無論、口パクで)
 ……そう、夫も大の「BLUE MOON BLUE」好きなのであった。それにしても、我ながら、変な夫婦……(苦笑)。
 実はこの変な夫婦、「RIO DE BRAVO!!」を観た際に、大劇場版中詰のエンディング、水、愛原、彩吹、音月桂、大月さゆの銀橋五人衆揃い踏みシーンが、衣装が似た色調&雰囲気だったということもあって、「何だか『BLUE MOON BLUE』みたいだよね」という話で大いに盛り上がっていたのである。やっぱり、今「BLUE MOON BLUE」を再演するなら、一番似合いそうなのは雪組だよね! と。その願いかなった変な夫婦は、劇場からの帰り道、今度は、昔の月組でよかった作品でいえば「ガイズ&ドールズ」なんて今の雪組に似合いそうだよねなどという話で盛り上がっていたのだった(水のスカイに愛原のサラ、彩吹のネイサン、その場合、宝塚版にはなかったネイサンのラブソング「アデレイド」も入れて等々)。
 そのときはまだ、知る由もなかった。12月には彩吹が、そして年明け1月には水と愛原が相次いで退団発表することを。自分の目指す舞台の方向性を誰よりも理解し、支える彩吹がいて、芝居とダンスの呼吸を合わせることのできる相手役・愛原を迎えたトップスター水夏希。その水率いる雪組でこんな舞台が観たい! とあれこれ思い描くことが、“見果てぬ夢”――そう、十年の年月を経て不死鳥の如く甦った名場面で歌われた、まさにその歌詞――なのだと。だから、暮れから年明け、かなりの期間、この変な夫婦は何だかものすごくやる気がなくなっていた(おい!)のであった。
 ちょっと時間が経ってしまいましたが、3月12日夕方、東京宝塚劇場で行われた公開記者会見のお話。
 一音一音と真摯に向き合い、一字一句をていねいに響かせ、楽曲のもつ壮大なスケール感を大劇場空間に確かに醸し出してゆく、月組新トップスター霧矢大夢さんの「炎の中へ」「ひとかけらの勇気」の歌唱を聴いて、「やっぱり『スカーレット ピンパーネル』の世界はこう来なくっちゃね!」と、大好きな作品に再びめぐり会えてすっかりうれしくなってしまい、思わず一緒に歌っていたあひる(もちろん、口パクで)。続いての新トップ娘役蒼乃夕妃さんの「あなたを見つめると」では、せつなさあふれる歌声に、ヒロイン・マルグリットの心境と何だか思いっきりシンクロしてしまい、ついつい涙…。会見なのに〜(苦笑)。いつもと違い、劇場で行われたということで、会見に出席しているというより客席で観劇しているような気分になっていたのかもしれませぬ…。
 実際、セリ上がりあり銀橋登場あり、星組公演の舞台装置の使用ありと、かなりショーアップされた会見。丸の内のコットンクラブで行われた前担当作「カサブランカ」の会見も、会場を主人公リックのアメリカン・カフェに見立てて、リックに扮した宙組トップスター大空祐飛さんが芝居仕立てで「お水を」というと実際にお店のウェイターの方が水の入ったグラスを持って出てきたりして(そして、どのお客様に水を出せばいいのかわからずちょっとおろおろしていたりして)、小池修一郎氏演出作の会見は粋な趣向多し。しかし、最近は一般の方を招いての公開記者会見というのが流行っているようで、「マルグリット」や「絹の靴下」の会見でもそんな趣向がありましたが、何だか質問する方としてもいつも以上に緊張するものが。そして今回、司会が月組組長・越乃リュウさん&副組長・花瀬みずかさんというのも新しい趣向。残念ながら時間切れになってしまいましたが、時間がもっとあったらこのお二人にもぜひ意気込みのほどを聞いてみたかった次第。
 さて、会見でいつも楽しみなのは、演出家による各出演者評。この日の小池節も絶好調、ショーヴラン&アルマンを役替わりで演じる好対照の個性のお二人、龍真咲さん、明日海りおさんについての魅力分析の箇所など、会場から何度も笑いが起きるほど。主人公パーシーを演じる霧矢さんについての評はおおむね同感、ふむふむと思って聞いていたのですが、エンターテイナーぶりと宝塚の男役としての見せ方の“霧矢ブレンド”を模索中…というあたりで、心の中でちょっとだけ「異議あり!」。というのは、2月のショー「Heat on Beat!」において、この二つの資質は高次元において融合をみた! とあひるは思っているので。もちろん、その融合をとくと見せられるのがこの作品という小池見解については100パーセント同意。
 「スカーレット ピンパーネル」という作品については、近年上演された中で、宝塚の世界に見事にフィットした海外ミュージカルのヒット作ということで、待望の再演では、いかに今後の上演につなげていけるか、大きな期待がかかるところ。再演ものというと、すでにできあがったイメージがあるため、出演者にとってプレッシャーになる部分も大きいとは思うのですが、これまで、海外ミュージカル作品の再演において、いつもオリジナリティを追求し、作品および登場人物に新たな息吹を与えてきた霧矢さんを主演に迎えたからには、きっと新たな「スカーレット ピンパーネル」の世界が必ずや広がるであろうことをあひるは(勝手に)確信済み。実際、前回の上演ですでに作品や登場人物について考え尽くし、書き尽くした…と思ったはずなのに、この日、会見で歌唱を耳にしただけで、新たに胸に湧き上がる感情や思考あり。この夜の歌唱を聴くだに、霧矢パーシーからは“信念の人”という印象を非常に強く受けたなと…。心のこもらない歌、真剣さに欠ける舞台なんて吹っ飛ばしてやる〜という強い信念。その心意気で、4月中旬からの舞台、新トップコンビ&月組一丸となってのパワー大爆発に期待大!